本日は、阪急宝塚線の「曽根」駅前にある「豊中市立文化芸術センター 特別展示室」で開催中の、「豊中のお殿様」展示展に出かけました。展示室前で大学時代の友人と合流して入場しましたが、展示スペースがそんなに広くもなく、中の写真撮影禁止でしたので、アッという間の閲覧でした。ただ資料類が、色々と用意してありましたのでいただいて帰りました。
「豊中のお殿様」展示解説パンフの表紙
「展示会場」をチラリと(室内展示物は撮影禁止)
そのお殿様とは、「麻田藩」の藩主「青木家」のことです。約1万石の領地を有する「外様大名」で、その内の約7割は摂津国の一部、3割が備中国の一部を領していました。
「麻田藩の領地」(「展示解説資料」から、緑の部分が「摂津国」内の領地、現在の「池田市」内のエリアも結構広い)
そのお殿様の居住場所「麻田陣屋」(大阪府豊中市)は、現在の阪急宝塚線「蛍池」駅の西側の丘陵部分に置かれていて、資料によると南北250m、東西190mの規模でした。
展示室内に、当時の「陣屋絵図」が掲出されていましたが、いただいた資料でも確認すると、「陣屋」全体の出入口は規模の大きな「北門」と「南門」の二か所が置かれていました。また、北、東、南の周囲には「外堀」との記述があります。
そして「陣屋」内部の中心には藩主の住居である「御殿」と庭園が置かれ、その北側に政務を行う「会議所」、その他に「道場」「弓稽古場」が土塀の中に囲われています。
「北門」と「南門」を結ぶメイン道路の東側には「青木別邸」との記載があり「火の見櫓」のような櫓が絵図に描かれているのが興味を惹きました。また、その道路沿いには重臣たちの屋敷が描かれ、「長屋門」や「棟門」等が並んでいます。
「摂州麻田藩御陣屋絵図 トレース図」(持帰り資料より、左が北)
展示物は、初代藩主が使用した「兜」や「軍配」があり、更に興味深いのが、「大阪城天守閣所蔵」が所有する「大坂夏の陣合戦屏風」の中に描かれた「青木勢」の旗印「青木富士」が、なんと「豊臣秀頼」の真下に描かれていました。それは、「秀頼」の側近中の側近で警護するポジションにあったということだと思います。
「大阪城天守閣所蔵」が所有する「大坂夏の陣合戦屏風」の中に描かれた「青木勢」(楕円の部分、その上が「豊臣秀頼本陣」)
先日のブログでも少し触れましたが、「青木家」は、元々「美濃国」の土豪から「斎藤道三」や「織田信長」に仕えそこから「豊臣秀吉」のお伽集となります。
そして「青木一重」は「大坂冬の陣」では「豊臣方」として戦い、「豊臣方」の和平使者として「駿府城」に居た「徳川家康」を訪ねますが、何故か帰りに京都で幽閉されたというエピソードがあります。
そして「大坂の陣」後は、「家康」から許されて大名として取り立てられ、しかも幕末・維新まで移封もなくこの「麻田陣屋」で統治し続けることができたという非常に珍しいパターンの大名でした。
長々と「企画展」の展示内容について、資料の内容を盛り込み「麻田藩」と「麻田陣屋」についてお届けをしました。
現在の「麻田陣屋」跡エリア(持帰り資料から)
大学時代の友人とは、展示を見た後休憩所でお茶をして歓談、そして私は「豊中駅」に用事があったので会館で彼と別れて、電車には乗らずウオーキングで徒歩で向かいました。
途中「岡町駅」前には、「麻田陣屋」の移築門があるお宅がありますので写真を撮り、旧「能勢街道」を歩き「豊中駅」で用事を終えた後に昼食を「ミスド」で済ませ、ここまで来たからには次の駅「蛍池」にある「麻田陣屋」跡に立寄ろうと思い再び歩きました。
「麻田陣屋」の「移築門」(民家の門)
久々に「麻田陣屋」跡界隈をウオーキングして、「陣屋」南端の土手や、「麻田」と名前が付く「麻田公園」、西側から台地になっているのがわかる坂道、「外堀」だったのかな?と思う池等を巡りました。
「外堀」の名残?の池(陣屋跡の南東隅、南方向)
「陣屋」南端の土手
「麻田公園」(「麻田」の名前が公園名に)
「陣屋」跡西側の丘陵に上がる坂道と洋館
「外堀」の名残?の池(陣屋跡の北隅、南方向)
更に「陣屋門」が移築されている「K宅」の門の写真を撮りました。その門の屋根瓦には「青木家」の家紋「洲浜(すはま)」が付いているのですが以前確認をしていなかったので、今回は瓦紋の写真も納めました。
民家に移築されている「陣屋門」
民家に移築されている「陣屋門」
民家に移築されている「陣屋門」の瓦には「青木家」家紋の「洲浜」
そして最後は「蛍池駅」の西側「ルシオーレ」裏側に建つ「蛍池公民館」前の「麻田藩旧蹟」碑と解説を写真に収めて、次の駅で私の最寄り駅「石橋阪大前」まで歩くことにしました。
「麻田藩旧蹟」碑
「麻田陣屋跡」の解説
「石橋阪大前」まで歩き、そうだ!、この近くにも「麻田陣屋」に関連するコトがあることを思い出してそちらへ足を向けました。
というのは、「石橋阪大前」駅は「池田市内」ですが、駅の近隣に「豊中市」の飛地があって、その地名がまさに「石橋麻田」という番地表示になっているのです。
前述したように、「麻田藩」の勢力範囲(領地)は、現在の池田市内の東~東南部から現在の阪急宝塚線沿いの豊中市が含まれていて、どういう理由か分かりませんが、その一部だけが、「池田市」ではなく「豊中市」として「麻田」の名前を残して飛地になっています。このエリア内にある公園名も「石橋麻田公園」です。
「池田市」内にある「豊中市」の飛地「石橋麻田」
「石橋麻田町」の住所表示
「石橋阪大前」駅近くにある「石橋麻田公園」
本日、一緒に行った友人には「これから“麻田陣屋”跡に行くの?」と聞かれて、「いや~今日はいかないよ」と返答しましたが、「豊中のお殿様」の企画展を折角見に行きたのに、「お城好き」の私としてはそのまま帰るわけにもいかず、足を延ばしたい気持ちがずんずん高まったことから、今日半日は「麻田藩」のお殿様「青木家」と「麻田陣屋」巡りを堪能することができました。これも、友人の一言があったからこそだと思いました。
本日は17,000歩、10キロメートルのウオーキングとなりました。
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