只今、「全国の“二重櫓”を巡る」をテーマに、「現存」と「復元・復興・模擬」の「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南に向けてお届けしています。

 

本日は第6弾「松本城 辰巳附櫓、渡櫓」「高島城 角櫓」の3基です。

 

「松本城 辰巳附櫓、渡櫓(長野県松本市)、国宝(天守と乾小天守、月見櫓と一体)

 

「松本城」の敷地は、元々信濃守護職「小笠原家」の「深志城」でしたが「武田家」に奪われます。その後奪還して「松本城」と名前を替えますが、豊臣政権下になって「石川数正」が入城しお城の大修築を行います。その後徳川政権下となり息子の「康長」の時に建造した現在建つ大天守等が、身分不相応の城郭建設だとの理由で改易され、1633年に「家康」の孫が入城した折には「辰巳附櫓」「月見櫓」が増築されました。

 

「松本城天守」は、「大天守」が「乾小天守」と二重の「渡櫓」で連結する「連結式天守」であり、「大天守」と二重の「辰巳附櫓」更に「月見櫓」とも合体している「複合式天守」とも言われています。

 

従って、「渡櫓」や「辰巳附櫓」だけ取り出してどうこうと言うものではないかもしれませんが、敢えて「二重櫓」という切口でピックアップしてみます。

 

連結式・複合式の国宝「松本城天守」(大天守の右には「辰巳附櫓」「月見櫓」が合体する複合式)

連結式・複合式の国宝「松本城天守」(大天守の左には「付櫓」で「乾小天守」と連結する連結式)

 

辰巳附櫓」は、それだけ見ると「入母屋造り」で、外観は「天守」同様に「下見板張り」を採用し、「天守」に多く見られる「石落とし」は全くなく、狭間の数もかなり少ない替わりに、二階には「華頭窓」を城内外に設けて格式を持たせています。

 

また、当櫓の東側に付随する「月見櫓」とともに、1633年頃の同時期に天守群に建て増しされたものです。

 

複合式天守に合体する「辰巳附櫓」、それに付随する「月見櫓」(内堀側から)

複合式天守に合体し「華頭窓」が見える「辰巳附櫓」、それに付随する「月見櫓」(内堀側から)

複合式天守に合体する「辰巳附櫓」、それに付随する「月見櫓」(本丸跡側から)

「辰巳附櫓」二階には「華頭窓」が付く

「辰巳附櫓」二階の「華頭窓」(内部から見る)

「辰巳附櫓」1階から繋がる「月見櫓」(奥)

 

渡櫓」は、「大天守」と「乾小天守」を1階と2階で結ぶ廊下の機能を持つ「二重櫓」となっていて、外壁は当然ながら天守群と同様の「下見板張り」になっています。

 

「月見櫓」の地下に出入口がありますが、「渡櫓」1階にも「出入口」があり天守群への出入口となっています。

 

「大天守」と「乾小天守」を繋ぐ「渡櫓」

「大天守」と「乾小天守」を繋ぐ「渡櫓」

「渡櫓」内から「乾小天守」への方向

「大天守」と「乾小天守」を繋ぐ「渡櫓」の1階は出入口

「渡櫓」出入口

 

 

 

 

「高島城 角櫓(長野県諏訪市)、木造復興

「高島城」の長年領主であった「諏訪家」が「武田信玄」に滅ばされ、武田滅亡後には諏訪一族の「諏訪頼水」が「徳川家康」に仕えます。

豊臣政権下では配下の「日根野高吉」が城主になりましたが、関ケ原の戦い後に、「諏訪家」が故郷の高島に復帰し、その後は幕末・維新までこの地を統治します。

 

「高島城」は、三重五階で柿葺屋根や華頭窓を持つ特徴ある「天守」を中心に本丸には3基の二重櫓(角櫓、富士見櫓、持方月櫓)が多聞櫓で連結していて、外観は天守同様の下見板張りであったようです。

 

現在「角櫓」は、1970年に「天守」と同様の「下見板張り」で復興されています(但し、天守の「下見板張り」はRC造)。破風は無く、各面には窓を設けていて、「多聞櫓」の替わりに「土塀」が「本丸」跡周囲を取巻いています。

 

復興「角櫓」(堀側北西方向から)

復興「角櫓」(西面)

復興「角櫓」(南面)

 

 

※「二重櫓」をピックアップする為の「私なりの基準」

 

・城域(曲輪)内にある「城郭建造物」を集計

・城域外へ移築され他所で再利用されていた建造物が、再度城域内の同じ位置或いは違う位置へ再移築され修築・復元されている場合は「現存」としてカウント

・城域内・外の神社・寺院・学校へ移築されその構造物の一部となっている建造物はカウントとせず

・基本は「近世城郭」の「櫓」をピックアップ。一部、日本100名城・続100名城の戦国時代のお城内で、再現した櫓や楼を算入(吉野ケ里遺跡の「楼」は除外)

・「重」=「層」が基本、見え方で「庇」が「重」に見える場合はカウントしている場合あり。   

  *岡山城月見櫓は、今回「三重櫓」に算入

・「付櫓」=天守に付随する櫓、「続櫓」=櫓に付随する櫓、そこのお城の呼び方でカウント、また「天守」或いは「櫓」の両サイドに付随する「付櫓」又は「続櫓」は2基としてカウント

・「姫路城」等の「渡櫓」、「金沢城」等の「長屋」も「櫓」に分類

・「多聞(多門)櫓」は長くても基本1基でカウント               

・「櫓門」は「門」に分類、「金蔵」「納戸蔵」等は「蔵」に分類、「鐘楼」「番所」等は別分類

・城域内の資料館、客用施設(トイレ、売店)等の城郭風建造物で、櫓風に見える模擬「櫓」は算入    

・「復元・復興・模擬」は、今回は一括りで扱うが、今後分類を行う。

 

 

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