日曜日からスタートしたNHK大河ドラマ「青天を衝け」は、主人公が幕末から明治、大正、昭和にかけて活躍した「日本資本主義の父」と言われ日本銀行創設者でもあり実業家でもあった「渋沢栄一」の生涯を描くものだそうです。
毎日新聞の特集面でこのドラマの荒筋が掲載されていましたが、「栄一」の生涯のうち「特に激動の幕末から明治を駆け抜けた青春時代を特に丁寧に描く」とのことです。
やはり今回も、幕末、戦国好きの多くの日本人の向けに併せたネタを「渋沢栄一」という人物にスポットを当てながら展開していくストーリーのようです。
ただ先日の第一回目を見てだけの印象ですが、今回は、幕末と言っても、尊王攘夷を旗頭に挙げた「薩長」やそれを取り持つ「坂本龍馬」、過激派志士を取り締まりで奮闘した「新撰組」など下層武士達を中心とした活動にスポットを当てるのではなくて、「幕府」の方にスポットを当てた展開になりそうな感じです。
幕臣「渋沢栄一」と将軍「徳川慶喜」とが関わりあったことは、今まであまり知られていないことで、それをデフォルメしていくのだと思いますが、今回は既に12代将軍「徳川家慶」が登場して継嗣問題が描かれたり、老中「阿部正弘」や御三家「徳川斉昭」が頻繁に出てきたりと今までとは違う視点で幕藩体制下の権力闘争等も見られるのが楽しみです。
さて、先日の第一回目には、「渋沢栄一」が居住していたのが「岡部藩」内であり、その「岡部陣屋」内の牢獄に収監されていた「高島秋帆(しゅうはん)」と少年「栄一」が牢獄の壁越しに言葉を交わすシーンが描かれていました。
「岡部陣屋」の「陣屋脇門」(「全昌寺裏門」に移築)
「高島秋帆」は、長崎の町年寄の家庭に生まれ本人も後を継ぎますが、オランダ人を通じて砲術を学び、44歳の時には幕府に紹介したことから、幕臣にも西洋式砲術を教え、あの有名な「韮山反射炉」を製造した「江川英龍(ひでたつ)」も弟子にもなっています。
しかし「秋帆」に対する密貿易をしているというような中傷があり、1843~1846年まではドラマでも描かれたように「岡部陣屋」内で収監され、その後1853年までは「岡部藩」預かりとなり、藩士に兵学を指導していたそうです。その後は赦免されて西洋砲兵学の教授にもなっています。
それでは今回、「岡部陣屋」の紹介を行います。
「岡部陣屋」(埼玉県深谷市)は、元「今川家」の家臣だった「安部家」が「家康」の臣下となった家で、その後加増されて1649年に諸侯に列します(大名となる)。その後、2万2,200石となってこの地に陣屋を築きました。
ただ、2万石余りあった領地は3か所(武蔵・上野、三河、摂津)に分かれていて、武蔵・上野だけでは5,000石しかありませんでしたので、領国経営は難しかったようです。
陣屋は、中山道に面して「大手門」があり、中は居館や役所、家臣の長屋が並び、周囲は土塁と堀に囲われていたようです。
その陣屋地跡は、JR「岡部駅」から少し歩いた所にありますが、畑地と住宅地が拡がっていて、その中に当時からあったという「神明社」が建ちます。
「陣屋」跡地は畑地や住宅地
「陣屋」跡地は畑地や住宅地
「陣屋」内の「神明社」
それと、陣屋跡地の一角には、前述した「高島秋帆幽因の地」碑が、畑の中に「説明書」板とともに立っていて、その場所が幽閉されていた場所だと判ります。
陣屋跡地の一角に立つ「高島秋帆幽因の地」碑
「高島秋帆」の解説
「陣屋」の遺構は、「全昌寺」の「裏門」の場所に、「陣屋脇門」だった二階建ての「長屋門」が移築されていて、かなり立派な門です。「全昌寺」は、JR「岡部駅」から北に向かって歩いた所にあります。
「陣屋脇門」(現 「全昌寺裏門」)
「陣屋脇門」(現 「全昌寺裏門」、正面斜めから)
「陣屋脇門」(現 「全昌寺裏門」)
「陣屋脇門」(現 「全昌寺裏門」、境内側から)
更には、「地方通用門」が民家へ移築(深谷市西島町)されているそうですが、探し当てることができませんでしたので写真はありません。
「岡部陣屋」の藩主は前述したように「安部家」で、菩提寺が陣屋跡地近くにある「源勝院」ですので、代々藩主の墓碑が一列に並んでいる光景を見ることができます。
「安部家」菩提寺の「源勝院」山門
「安部家」の墓標(「源勝院」内)
「安部家」の墓標(「源勝院」内)
大河ドラマ「青天を衝け」の今後の展開を楽しみにして見続けたいと思います。今回は幕府中心の展開が多いように思われますので、そこに登場する大名達やそのお城にも興味が湧きそうですので、また機会が有ればお届けしたいと思います。
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