只今、「全国の“二重櫓”を巡る」をテーマに、「現存」と「復元・復興・模擬」の「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を実感しながら、北から南に向けてお届けしています。
本日は第2弾、「会津若松城 干飯櫓」「白河小峰城 太鼓櫓」「土浦櫓 西櫓、東櫓」の4基です。
①「会津若松城 干飯櫓」(福島県会津若松市)、外観木造復元
「会津若松城」の「櫓」は、「本丸」周囲に7基、北・西出丸に各2基の計11基が築かれていました。
※干飯櫓、塩蔵之内櫓、鐘之櫓、弓櫓、東之櫓、茶壷櫓、月見櫓
西出丸南西櫓、西出丸北西櫓、北出丸北西櫓、北出丸北東櫓
「天守」から「走長屋」、「鉄門」までの姿は、戊辰戦争で痛めつけられた写真が残っていたので、それに基づいて1965年に外観復元され、更にそこから南に延びる「南走長屋」「干飯櫓」も鮮明ではないものの古写真が残っていたことから、2009年に木造で外観復元されました。
「干飯櫓」は、「二重二階」で破風なし、武器庫であり「多聞櫓」形式の「南走長屋」の南先端に繋がり非常食である「糒(ほしい)」を保管していた櫓でした。分類で言うと、「用途別」のジャンルになります。
「南走長屋」の南側に位置する
「本丸」内側より
「干飯櫓」と「南走長屋」(「帯曲輪」 謙信仮廟所跡付近から)
手前から「走長屋」「鉄門」「南走長屋」「干飯櫓」(天守より)
前述の「本丸」跡の櫓の一つに「鐘之櫓」がありましたが、現在、その付近に建つ「鐘撞堂」は「櫓」の数にはカウントせず、「鐘楼」に分類しました。「鐘」は当時のモノで戊辰戦争時も鳴らし続けていたらしく「楼」だけは新築されたものです。
「鐘撞堂」(「櫓」数にはいれていません)
②「白河小峰城 太鼓櫓」(福島県白河市)、白河市指定文化財の移築現存
「白河小峰城」は、豊臣政権では東北の抑えとして会津領に組み込まれ「上杉家」「蒲生家」が入城、更に徳川政権になると「丹羽家」により大改修が行われ、以降有力「譜代大名」が入れ替わりで城主となります。その中でも有名なのは、「寛政の改革」を行った「松平定信」です。
また、「戊辰戦争」では、旧幕府軍と新政府軍によるお城の攻防戦が行われました。
この「太鼓櫓」は、二の丸入口の「太鼓門」西側に建てられ城下に「時を告げる」という「用途別」のジャンルに区分できる櫓です。廃城令後には、民間に払い下げられ二度の移築をして、元の場所ではないですが「三の丸」跡の状域内に建っています。
現在はだいぶ改修が行われていますが、寄棟造り等の旧状が残されていて、「楽山荘」として茶室や客間が一般公開されていますので、現存移築の「二重櫓」としてカウントしました。
寄棟造りで数寄屋風(だいぶ改変されているらしいです)
「三の丸北小路」跡に建つ
③「土浦城 西櫓・東櫓」(茨城県土浦市)、「西櫓」は県史跡指定で元部材使用による復元、「東櫓」は木造復元
「土浦城」は、「徳川家康」が関東に入った後は「結城秀康」の配下となります。1601年「秀康」の後には、「松平(藤井)家」「土屋家」「松平(大河内)家」等の譜代大名系の藩主が目まぐるしく替わり、その間に近世城郭として整備されます。
当城は、「関東で唯一の“櫓門”が残るお城」として名高いですが、「西櫓」は土塁の上に建ち現存していたものの1949年のキティ台風で倒壊、その後保管されていた部材を使用して組み立て直され1992年に復元しました。当櫓は、県史跡指定があるので「現存」でカウントしています。
名称は「方角名」が付され、土塁上に建ち、形は直方体で破風はありません。
土塁上に建つ「西櫓」は破風なし
「西櫓」(南方向から)
「東櫓」は、1998年に市立博物館の附属施設として木造復元されました。こちらも土塁上に建ち、「西櫓」同様の形で破風無しですが、窓の数は「西櫓」よりも多いようです。
土塁上に建つ「東櫓」(北西方向から)
木造で復元された「東櫓」内は資料館
木造復元された「東櫓」の太い梁
両櫓や「太鼓門」は、2011年の「東日本大震災」で壁の剥落等大きな破損が有りましたが、翌年には原状復帰しています。
※備考
「櫓」をピックアップする為の「私なりの基準」です。
・城域(曲輪)内にある「城郭建造物」を集計しています。
・「廃城令」後等に城域外へ移築されて他所で再利用されていた建造物が、再度城域内(曲輪内)の同じ位置或いは違う位置にでも、修築・復元再移築されている場合は、「現存」として扱いました。
・「廃城令」後等に城域内・外の神社・寺院・学校へ移築されそこの構造物の一部となっている建造物は「現存」としてカウントしていません。
・「復元・復興・模擬」は、今回は一括りで扱っていますが、今後分類をしたいと思います。
・基本は「近世城郭」の「櫓」をピックアップしています。ただ、日本100名城・続100名城の戦国時代のお城で、再現した櫓や楼が一部算入していますが極わずかです。(吉野ケ里遺跡の「楼」は除いています)
・「重」=「層」ですが、見え方 (例えば「庇」が「重」に見える場合)でカウントしている場合もあります。(岡山城月見櫓は、今回「三重櫓」に入れています)
・「付櫓」は天守に付随する櫓、「続櫓」は櫓に付随する櫓ですが、そこのお城の呼び方でカウントしました。一応、「天守」或いは「櫓」の両サイドに付随する場合は2基とカウントしました。
・「姫路城」で多く見られる「渡櫓」も、「金沢城」等で見られる「長屋」も「櫓」に分類しました。
・「多聞(多門)櫓」は名称が付いている「櫓」(例えば「富士見多門櫓」は1基とカウントしましたが、長い「櫓」(例えば、和歌山城等)でも1基とカウントしています。
・「櫓」形式でも「蔵」代わりに利用されていたモノが多いですが、「金蔵」や「納戸蔵」等は「蔵」へ分類しました。
・「櫓門」は、「門」に分類しています。
・城域内の客用施設(例えば、トイレや売店)等の城郭風建造物でも、それなりに櫓風に見える模擬「櫓」は算入しています。
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