今回より「全国の“二重櫓”を巡る」をテーマに、「二重櫓」の多様性(構造、形式、用途、目的、名称等)を見ながらお届けをしていきたいと思います。
全国北から南へ順次進めていきますが、前回お伝えしましたように「二重櫓」は約110基ありますので、1日4基~5基をお届けしても約1ケ月ほどの期間を要します。最後までお付き合いいただきますように、よろしくお願いいたします。
本日は「仙台城 大手門脇櫓」「涌谷要害 太鼓堂」「二本松城 二階櫓」の三基です。
当櫓は、太平洋戦争の空襲によって「大手門」とともに焼失してしまいました。この「大手門」は、「豊臣秀吉」による「朝鮮出兵」で現在の佐賀県唐津市名護屋に築城した「名護屋城」の「大手門」を、「伊達政宗」が拝領して移築したモノとも言われていて、桃山形式のかなり豪華な城門であったことが古写真からわかります。
「櫓」には、東と南に向かって「続櫓」が連結していて、名称の通り、「大手門」の脇に有って門の監視を担っていたと思われます。
1964年に、市民の寄付等で白漆喰の姿が蘇りました。また、最近では「大手門」の復元計画が上がっていて調査が行われていますが、現在の外観復元「脇櫓」の外観が少し古写真と違うところがあり、それも併せての復元になるとのことです。
「大手門脇櫓・東に延びる続櫓」(北方向より)
「大手門脇櫓・東に延びる続櫓」と手前は現存「二の丸土塀」
「大手門脇櫓」(北東方向より)
②「涌谷(わくや)要害 太鼓堂」(宮城県遠田郡涌谷町)、現存で国指定文化財
「涌谷要害」は、「伊達家」の家臣となった「亘理(わたり)家」の居城で、幕藩体制の「一国一城の令」の下、「伊達家」には黙認された「要害」という形でのお城でした。
前述の「仙台城 大手脇櫓」以外に仙台藩内で唯一残る「櫓」として貴重な存在です。急峻な石垣の真上から本丸「詰の門」を見下ろす位置に建ち、太鼓による時報と同時に門の監視も担っていました。
建物1階は、上部が白壁ですが下部は黒い板を張り付け、2階も横板を張り付けた上から白く塗装したような造りとなっています。また、屋根も寄棟に近い形ですが、立派な鯱2匹が上がっています。
「太鼓堂」(東方向から)
「太鼓堂」(西方向・城内から)
面白い屋根の形と鯱
「太鼓櫓」と「模擬天守風資料館」
③「二本松城 二階櫓」(福島県二本松市)、RC造模擬
「二本松城」は、1643年に入城した「丹羽家」によって近世城郭に大改修をして現在のような形になりました。
「二階櫓」は、「三の丸」南端の中央に築かれた「箕輪門」に付随して建っていますが、当櫓は当初には築かれなかった模擬櫓で、1982年に復元された「箕輪門」と「多聞櫓」に付随して建造されたものです。
しかし、一重目と二重目が同じ形の「重箱型」、壁は「白漆喰総塗込」で二か所に「石落とし」を設け、北側には少し出っ張って築かれています(続櫓としては未カウント)ので、三の丸石垣の下から見上げた光景は、「箕輪門」「多聞櫓」「二階櫓」「土塀」が一体感となった非常に美しく姿になっています。
重箱型の模擬「二階櫓」には「石落とし」も付く
模擬「二階櫓」と復興「箕輪門」(三の丸側から)
模擬「二階櫓」と土塀(西方向から)














