2020年度のNHK大河ドラマは、主人公「明智光秀」の一生を描いた「麒麟がくる」でしたが、コロナ禍の影響で撮影が中断し暫くの間放映がされず、2021年に入った現在も放送が続いています。
ドラマ開始前から温めていたこのシリーズの為に、『「明智光秀」所縁(ゆかり)のお城』を訪ね歩いてきましたので、丁度前のシリーズが終了したことと、まだ来月7日までドラマが続くタイミングで大放出をしたいと思います。
『「明智光秀」所縁(ゆかり)のお城』とは、私自身の基準ではありますが、歴史的な順番で以下のような切口で「お城」を選定しました。
尚、歴史的な年代については、明智憲三郎著「本能寺の変 431年目の真実」(文芸社文庫)の巻末に出ている付録年表を参考にしましたので、NHK大河ドラマの「小和田哲男」さんの歴史考証とは少し違う所もあって番組内容とは少し異なる部分もあることはご了承ください。
※下記に、前述した「付録年表」を基に加工作成しなおした表を掲載しておきます。
また、上述の「本能寺の変 431年目の真実」の年表は、古文書(古文献)「言継(ことつぐ)卿記」「多聞院日記」「信長公記」「兼見卿記」等の記載に基づくものとのことです。
①最近、「光秀」の研究が進んでいたり文献が発見されたりしているものの正確な史実が残されていません。「光秀」の生年月日や特に青年時代の行動がはっきりせず、生後30年間は良く解らないと言われていますが、一応、誕生してから約30年間、拠点としていたであろう「お城」明智城
「明智城」(岐阜県可児市)の模擬大手門
②「光秀」が、最初に仕官した事が史実として記載された仕官先「朝倉義景」で、その城下に居住したと言われている「お城」一乗谷城
「一乗谷城」朝倉氏館(福井県福井市)唐門
③「朝倉義景」の元を離れた足利奉公衆として「織田信長」との出会いがあったであろう「お城」岐阜城
「岐阜城」(岐阜県岐阜市)復興天守
④「光秀」が「信長」の配下で働き始め、「褒賞」を得て貰い受けた「比叡山延暦寺」麓エリアを統治する為に築城した「お城」坂本城
「坂本城」(滋賀県大津市)城址碑
⑤「光秀」が、「信長」の天下統一の為の軍に組み込まれて「丹波」「丹後」等の平定に関わった「お城」信貴山城、八上城、黒井城など
「信貴山城」(奈良県生駒郡)城址碑
「八上城」(兵庫県篠山市)本丸跡と八上城跡碑
「黒井城」(兵庫県丹波市)二の丸跡から本丸跡をのぞむ
⑥その過程の中で、「信長」との関わりで登場する「お城」安土城
「安土城」(滋賀県近江八幡市)大手道の石段
「安土城」(滋賀県近江八幡市)天主模型
⑦「光秀」が、「丹後」「丹波」平定後に築城した「お城」或いは「光秀」の親族を配備した「お城」周山城、丹波亀山城、福知山城、勝竜寺城
※但し、「亀山城」「福知山城」の現在の姿は、「光秀」が平定して建てた頃のお城ではありません。この2城は、引続き江戸時代に引き継がれ、江戸幕府態勢の中で約 270年間、城主も替わり生き延びたお城ですので江戸時代の姿を説明します。
「周山城」(京都市右京区)主郭への北側からの虎口
「丹波亀山城」(兵庫県亀山市)復元天守台
「丹波亀山城」(兵庫県亀岡市)の天守(古写真)
「福知山城」(京都府福知山市)外観復興大天守・小天守と銅門番所
「福知山城」(京都府福知山城)天守台の転用石
「勝竜寺城」(京都府長岡京市)城郭風建造物、模擬南門、模擬城壁
以上、①~③は「光秀誕生から室町幕府奉公衆」まで
②~⑥は「光秀が信長に仕官して各地参戦し天下布武に貢献する」まで
⑦は「丹波・丹後平定して統治、そして本能寺の変」まで
の大きく3つの時代区分をして紹介していきたいと思います。
その前に、「明智光秀」について少し触れておきますが、「明智光秀」が主君「織田信長」を急襲するというクーデター「本能寺の変」を1582年6月2日に起こした理由については、諸説あります。
「怨恨説」「野望説」「黒幕説」「動機説(土岐家復興説)(長宗我部家支援説)」等々です。
しかし、ここでは「本能寺の変」の原因について言及はしないで、淡々とほぼ史実に則った時系列で、「光秀」が関わったお城や関連したお城、「光秀」が築城したり居城したお城の紹介を行います。
つまり、「明智光秀」本人の出来事を、「光秀」に纏わる(まつわる)人物、特に「織田信長」ですが、その関連で歴史に出てくる「お城」について歴史の順番を追ってしていきます。年代も、諸説ありますのでその年ズバリという訳ではありませんのご了承ください。
「明智光秀」の歴史
次回ブログでは、生誕地とされている「明智城」をお届けします。
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