今回の「大坂城」(大阪府大阪市中央区)散策は、「本丸」周囲を取り巻いて建っていた「三重櫓」跡が、現在「本丸」跡内側から見てどのようになっているのかをテーマに探索しました。本日はその「後編」をお届けします。
「本丸御殿」跡にできた池泉庭園越しの復興「天守」
「前編」では、「本丸」後の北東隅にある「蔵方預櫓(糒櫓)」跡まで見てきました。
「前編」はこちらからどうぞ!
「三重櫓」の配置図(赤丸●の所)
本日は、その「蔵方預櫓(糒櫓)」跡西側に大きな貯水池が横たわっている北側の狭い通路を西側へ向けて進んだ所に位置する「鉄砲方預櫓(北の手櫓)」に進みますが、こちらには「説明書」がなかったので、その位置がハッキリと特定できませんでした。
貯水池関連の施設が「多聞櫓」跡を遮り、この手前に「鉄砲方預櫓(北の手櫓)」跡がある
「鉄砲方預櫓(北の手櫓)」(「極楽橋」から撮った写真で、「山里丸北側」の文字の下に写る、「ミライザ」内に写真掲出)
「本丸」跡の北出入口に当たるのが「姫門」で大きな枡形を形成してそこから「山里丸」へ降りる出口となります。その「姫門」枡形跡脇の台形の敷地上に「具足方預櫓(通称名?)」が建ちました。
「姫門」の枡形
「具足方預櫓(通称名?)」跡の櫓台(西方向)
「具足方預櫓(通称名?)」(西面、「ミライザ」内に写真掲出)
丁度その南側に建つ「天守」の「天守台」を間近に見ることができ、その石の巨大さに度肝を抜きます。「太平洋戦争」時の大空襲による砲撃によって、すぐ近くで爆裂したので「天守台」の北面と東面に歪みが生じているのを目にすることができます。
巨石を算木積みに使用した天守台
太平洋戦争の爆風で歪んだ天守台
「天守」北西隅を見上げる
「天守」の南西から斜め前には「本丸御殿」の建物が拡がっていて、その「御成門」が築かれていました。当初はその監視もあって「弓方預櫓(御成門之内櫓)」が建っていました。
「具足方預櫓(通称名?)」跡から「弓方預櫓(御成門之内櫓)」への多聞櫓跡
この先に見える「弓方預櫓(御成門之内櫓)」跡からの「多聞櫓」跡
右の石垣手前が「弓方預櫓(御成門之内櫓)」跡
そこから、斜めに「西の丸」方向に出張った先には、変形菱形になった地形の上に「具足方預片菱櫓(数寄屋前櫓)」が建っていました。「大坂具足奉行」が管理していて鎧や武具類が保管されていたようです。そして、櫓近くには「数寄屋(茶室)」があったのでこのように命名された櫓でした。現在、そこはベンチが並べられた休憩所となっていますが、変形菱形の形はそのまま残されています。
「具足方預片菱櫓(数寄屋前櫓)」跡の櫓台
「具足方預片菱櫓(数寄屋前櫓)」跡は休憩所になっている
ここ「具足方預片菱櫓(数寄屋前櫓)」跡からのぞむ「西の丸」跡
「弓方預櫓(御成門之内櫓)」(左)と「具足方預片菱櫓(数寄屋前櫓)」(右)(西面、「ミライザ」内に写真掲出)
そこから南側に向かう「多門櫓」跡に沿って歩くと先に「弓方預櫓(南西隅櫓)」跡があり、更に南側に出張った南西隅には「鉄砲方預櫓(西の一番櫓)」跡が建っていました。その東側は広場になっていますが、太平洋戦争末期には、「中部軍司令部防空作戦室」が建てられていました。空爆による破壊は免れましたが、建物は昭和45年に解体されました。
「弓方預櫓(南西隅櫓)」跡の櫓台
「弓方預櫓(南西隅櫓)」跡の櫓台
「弓方預櫓(南西隅櫓)」跡からのぞむ「鉄砲方預櫓(西の一番櫓)」跡の櫓台
「弓方預櫓(南西隅櫓)」(左)と「鉄砲方預櫓(西の一番櫓)」(右)(南面、「ミライザ」内に写真掲出)
以上のように、「本丸」内建てられた11基の「三重櫓」跡を見てきましたが、もう1基は「伏見櫓」と言って、「市正曲輪」北側の「外堀」に面した所に建つ、「伏見城」から移築された櫓でした。今回は、こちらへは行かなかったので、以前の写真を掲載しておきます。
「外堀」越しに見た「伏見櫓」の櫓台
「伏見櫓」の古写真
この後、「本丸御殿」跡に、明治時代に移築されていた「紀州御殿」跡に造園された「池泉庭園」から「天守」を望み、池に映る「逆さ天守」の美しさを楽しみました。「紀州御殿」は、太平洋戦争後に駐屯していたアメリカ軍の不審火によって焼失してしまいました。
「本丸御殿」跡の池泉公園池に映る「逆さ天守」
在りし日の「紀州御殿」(「ミライザ」内に写真掲出)
「秀吉大坂城」の石垣が発掘され保管の為の「井戸」前を通り、「天守」下から見上げる「天守」の姿はいつ見ても迫力があり覆いかぶさってくるようです。
この井戸の下には、「豊臣大坂城」の石垣が残る
迫力満点の「天守」
今回「天守」内に入場せずに、「前市立美術館」であり「元第四師団司令部庁舎」を活用した現商業施設やレストラン、資料室となっている「ミライザ」に入館、建物最南端にある資料・写真展示の中で、幕末・維新に撮影された「本丸」周囲の建物群の写真を撮影しましたので、今までの「三重櫓」跡と併せてご覧いただければ、興味が一層沸いてくると思います。
「元第四師団司令部庁舎」を活用した「ミライザ」
車寄せ部分は「元第四師団司令部庁舎」当時の装飾物を活かしています
玄関も「元第四師団司令部庁舎」当時のままです
中の階段や手摺りは「元第四師団司令部庁舎」当時のままです
内部の装飾物も「元第四師団司令部庁舎」当時のままです
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