今回の「日帰りお城巡り」は、先日の福井方面への小旅行に続きJR西日本の「休日ぶらり旅きっぷ」を再び使っての小旅行となりました。

 

大阪府では、「医療非常事態宣言」が発令され外出自粛要請も出されていましたが、既にWEBで切符を発注済でしたし、人混みも無い所ですので決行しました。

 

今回の大まかなルートは、「水口岡山城」→「水口城」→「甲賀郡中惣の城館遺跡群」→「亀山城」です。

 

上記「休日ぶらり旅きっぷ」では、関西本線・草津線の柘植駅までしかフリー区間でないので、柘植から亀山間は別途料金片道330円は超過となります。

 

今回最初の訪城地「水口岡山城」がある「古城山」(近江鉄道水口石橋駅」から)

「休日ぶらり旅きっぷ」

 

当日「大阪駅」からスピード、乗り心地ともに快適な新快速で「草津駅」まで約50分、草津線に乗り換え「貴生川」駅まで約30分、「近江鉄道本線」に乗り換えて「水口石橋」駅まで8分で最寄り駅に到着しました。

 

ここから「水口岡山城」(滋賀県甲賀市水口)の搭乗道がある場所まで12分歩きますと、「岡山城址」碑と曲輪図が掲載された説明書が立っています。

 

「岡山城址」碑

曲輪図

 

 

そこから坂道を上って直ぐの所から小径に入って暫く上がると曲輪跡を利用した公園に出ます。その公園の奥には深い「竪堀」が上へ向かって伸びていました。

 

公園になっている曲輪跡

上に伸びる「竪堀」

 

そこから階段で少し上がった所にある小さな曲輪跡には「忠魂碑」が立ち、ここから暫くは「古城山」の急な山道を登っていくことになります。標高282mのこの山はふもとからの標高差が100m位ですので比較的楽に登れましたが、汗はかなりかきました。

 

登城の山道

 

上り切った所にはトイレが置かれた曲輪跡があり、そこから少し上がると広々とした「伝西の丸」跡に辿り着きます。ここには、「天翔の櫓」と命名された櫓風の展望施設があり、その脇には模擬の土塀風の構築物が横たわっていて、そこに「水口岡山城」の発掘時の写真や解説が掲出されていました。

 

トイレ施設のある曲輪跡

「伝西の丸」跡を見上げる

「伝西の丸」跡内にある「天翔の櫓」と土塀風構造物

「伝西の丸」跡

 

ここで少し、「水口岡山城」の歴史と城主についてお話をしておきます。

 

築城は割と新しく、1585年「羽柴秀吉」が甲賀郡支配の為に家臣の「中村一氏」に命じて「大岡山」に築かせました。その後も「秀吉」家臣でその後五奉行を務めた「増田長盛」「長束正家」をも配備していることから重要拠点として位置づけられていました。

 

関ヶ原の戦いでは、「長束正家」は西軍に属しますが戦闘には参加できず、最後には当城に籠城しますが、東軍方に攻められて降伏・開城して切腹させられます。その後は廃城となって、お城の部材を「水口城」築城時に転用されました。

 

さて話を戻しまして、「伝西の丸」跡から「本丸」跡に向かいますが、途中「竪堀」跡とその奥には少しばかりの「石垣」を見ることができます。

 

「竪堀」跡

草むらの中にわずかに見える「石垣」

 

「竪堀」跡にある階段を上ると左手に「本丸」跡の西端で、少し盛り上がる土地が見えますが、そこが「伝本丸櫓跡(天守とする説あり)」となっていて碑が立ちます。この後東端に向かいますが、そこにも「天守跡」碑が立ちます。

 

「伝西の丸」に掲出されていた説明によりますと、どちらも2段程の石積みが発掘され、瓦の種類が双方相違があるけれども発掘しているので、どちらもそれ相応の建造物があったと記載がありました。

 

「本丸」跡西端の「櫓」跡

「伝本丸櫓跡(天守とする説あり)」碑

 

「本丸」跡は東西長く横たわり真ん中には鳥居と小さな祠がありましたが、元々はこの上に「大岡寺」があったそうで、築城の際に麓へ移築しています。

 

「本丸」跡(西端から東方向)

「本丸」跡中央に建つ祠と鳥居

「本丸」跡(東端から西方向)

「古城山山頂(標高282m)

 

前述の東端の「天守跡」碑の所も少し盛り上がっていて、北西側から北側にかけて少し窪みが見られます。

 

「伝天守跡」

「伝天守跡」(北側から)

 

山頂では、今がピークと思われる紅葉が見事で、その隙間から見える城下、これから下山して向かう「水口城」方向が良く見えました。

 

今紅葉がピークのモミジ

紅葉のモミジの隙間からは城下が見える

 

「本丸」跡から少し降りた所には幅広い「空堀」が「二の丸」跡との間を分断しています。「二の丸」跡に向かう前に、「本丸」跡の北側に廻り込みますと、「喰違い虎口」とその脇には「石垣」がびっしりと張りついているのが確認できます。

 

「空堀」跡(左が本丸跡、右が二の丸跡)

本丸北側下にある「喰い違い虎口」跡

本丸北側下にある「石垣」

 

先ほどの「空堀」を渡り「二の丸」跡に入りますと結構な広さがある広場となっています。

 

「二の丸」跡(東方向)

「二の丸」跡から「空堀」を見下ろす

 

更に、東側に進むと草に覆われた「堀切」、そして「三ノ丸」跡に入る虎口があります。中の「三ノ丸」跡も縦長の広場でその東先端まで行くと遠望が広がるとともに、その真下にはこれまた広い「出丸」跡が見下ろせます。

 

草で覆われた「堀切」跡(二の丸跡と三の丸跡の間)

「三の丸」跡(東方向)

「三の丸」跡からの遠望

「出丸」跡

 

曲輪図によると、その先の山中にも数多くの曲輪が点々と配備されています。

 

時間も余りなかったので、急ぎ下山をすべく「本丸」跡に戻り、上ってきた山道を引き返しました。しかし、家に戻り曲輪図をもう一度眺めていると、「本丸」跡南側から降りる道の途中にも「喰い違い虎口」や「大手道」があったようで、そちらがメイン登城路だったことが判明して残念至極でした。

 

麓の「大岡(だいこう)寺」には、「水口城」の「茶室」が移築されているとの事前情報を得ていたので、急ぎながら向かいました。古びた本堂や橋が架かる庭園が素敵でしたが、「茶室」らしきものが見つからず、多分こちらのお寺のお宅の中に納められているのだろうなと断念しました。

 

「大岡寺本堂」

「大岡寺」庭園から本堂方向

 

次に訪城予定の「水口城」までは歩いてもそう遠くはなかったのですが、少しでも時間を稼ぎたい思いで、「水口石橋」駅付近のバス停から「甲賀市公共交通バス」に乗車し「甲賀市役所」で下車しました。

 

因みに、「甲賀市」は「こうかし」と読み、「が」ではなく「か」です。

 

次回のブログでは、「水口城」をお届けしたいと思います。

 

 

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