現在進行中のシリーズは本日お休みにして、一昨日訪問しました「丹南陣屋」(大阪府松原市)をお届けします。

 

「旧丹南藩高木主水正陣屋址」碑

 

一昨日は、久々に「難波」に用事(歯医者と髙島屋で買い物)があったので、前日に簡単な計画(乗車する電車とバスの時間を選定、陣屋の内容、跡地周辺の情報収集)を立てて臨みました。

 

当日、髙島屋でお歳暮ギフトと食料品で頼まれ物を済まして、乗ろうとする電車・バスの時間まで余り時間がなかったので、食料品売場内にある「サンマルコ」のイートインでサッと食事を済ませて地下鉄御堂筋線で「近鉄阿倍野駅」へ向かいました。

 

最寄駅「河内松原」は、近鉄南大阪線の準急で1駅約10分の距離ですので手軽な小・小・小旅行です。

 

近鉄南大阪線「河内松原駅」

 

駅からは近鉄バスで「丹南」停留所まで乗りますが、バスが進む道は旧「東高野街道」と言って、高野山迄繋がっている街道ですので、非常に狭い所を進みます。一方通行ではなく途中の極細い道では、信号によって一方通行にするといった都会では珍しい方式を採用していて、対抗車が通りすぎるまで随分待たされました。

 

東西に走る大動脈「大阪中央環状線」の道路を越えてすぐの「丹南」停留所で下車しました。

 

事前の情報収集では、「丹南陣屋」の所在地は、旧「東高野街道」にあるこの停留所西側から、上記「大阪中央環状線」の南側、そして今から向かう「来迎寺」までの区画にあったそうですが、現在は全く「陣屋」の遺構は残っていないとのことでした。

 

「丹南」バス停留所と旧「東高野街道」(北向き)

 

旧「東高野街道」から西側に走る小路を進むと、道の両側あちらこちらに長屋門や古いお邸や蔵が建ち並んでいて、何となく城下町を彷彿させるものが有りますので、嬉しくなって写真を撮りまくりました。

 

陣屋跡地内に建つ長屋門や屋敷や蔵

陣屋跡地内に建つ長屋門や屋敷や蔵

陣屋跡地内に建つ長屋門や屋敷や蔵

陣屋跡地内に建つ長屋門や屋敷や蔵

陣屋跡地内に建つ長屋門や屋敷や蔵

「天満宮」もありました

 

「丹南陣屋」の城主(藩主)は「高木家」で、初代「高木正次」は旗本でしたが、「大坂城番」を務めたことで加増され1万石となって大名となり「丹南」に領地を得て陣屋を構えました。しかし6代「正陳」の時に江戸定府となったので、藩政は江戸で行われ、「丹南陣屋」には管理する数名の者が駐在するだけだったようです。

 

最期の藩主「正善」は、版籍奉還頃までに江戸在住の家臣達を引き連れて丹南に引き揚げ、周囲に家臣達の屋敷や長屋等が一杯に並んでいたそうです。上述した古い街並みは、その当時のままでは無いでしょうが、当時からの雰囲気を引き継いでいるのかもしれません。

 

「高木家」は、「昭和天皇」の弟「三笠宮殿下」の奥様「百合子」さまの実家で、最期の藩主「正善」の長男で子爵だった「正得」の次女でした。

平成2年には、百合子さまが菩提寺である「来迎寺」にお参りされたとありますが、この「来迎寺」山門前に、「旧丹南藩高木主水正陣屋址」碑が立っていて、脇にはその由来などの説明書きがあります。この碑に彫られた文字は、百合子さまのお父様「正得」が揮毫したものだそうです。

 

「旧丹南藩高木主水正陣屋址」碑

「来迎寺と高木氏・丹南藩陣屋」の解説

 

お寺とはいうものの、山門左脇には番所も設けられている(現在改修工事中でした)、また本堂には鯱があがる城郭化したようなお寺です。

 

「来迎寺」山門

鯱が上がる「来迎寺」本堂

「山門」右手前に無縁仏の墓標群

 

以前には、陣屋御殿の客殿が、お寺の奥座敷に移築されていたそうですが、現在は取り壊されてありません。

 

かつては、この奥の奥座敷に「陣屋御殿の客殿」が移築されていた

 

お寺の奥様と思われる方に、墓所内にある初代「正次」と十一代「正明」の五輪塔を教えていただきました。どちらも立派ですが、初代「正次」の五輪塔は、盛土の上に立っていますので、向こう側に見える山門と遜色なく聳えていました。また、この墓の周辺には、家臣達のお墓が立ち並んでいるそうです。

 

初代「高木正次」の五輪塔(向こうに見えるのが「山門」)

十一代「高木正明」の五輪塔

 

さて、この「来迎寺」から東側と前述の「旧東高野街道」、「大阪中央環状線」に囲われたエリアが陣屋跡ですが、現在は、「ドンキホーテ」「かに道楽」などの大型店舗と企業の建物が建ち並んでいます。

 

この辺りには、明治初年に建てられたと言われている藩校「丹南学校」跡地だったらしく、工事時に発掘調査されて色々な出土品があったとか、それらは駅近くの「ふるさとピアプラザ」内に展示されているようでしたので、帰り際に寄ることにしていました。

 

「大阪中央環状線」に面する「来迎寺」北門

「来迎寺」北門前から藩校「丹南学校」跡方向(現在は「ドンキホーテ」が建つ)

陣屋跡地(現在「ドンキーホテ」から南側方向、右に「来迎寺」が見える)

この一帯が陣屋跡地(現在「かに道楽」)

 

周囲を歩き回りましたが、堀や土塁や石垣などのようなものは一切見にすることが出来ず、「丹南」のバス停留所まで戻りましたが、前述したようにこの西側エリアは閑静な城下風の住宅街となっていました。

 

「丹南」バス停留所前に建つ何かの祠

 

バスで「河内松原駅」前まで戻り、5分程南に歩いた所に「ふるさとピアプラザ」があります。期待して入りましたが、展示している江戸時代の発掘物は陶器など数点でした。

 

「ふるさとピアプラザ」内展示の発掘物

「ふるさとピアプラザ」内展示の「河内名所図会」

 

大阪府内には、当「丹南陣屋」以外に「麻田陣屋」(大阪府豊中市)、「狭山陣屋」(大阪府大阪狭山市)、「伯太陣屋」(大阪府和泉市)の計4大名陣屋があり、またお城は幕府の「大坂城」(大阪府大阪市)、「高槻城」(大阪府高槻市)と「岸和田城」(大阪府岸和田市)の2大名城が幕末まで存在しました。

 

 

上記の大名陣屋以外にも、江戸時代途中に廃藩になった陣屋、他地域の大名藩の知行地を管理する陣屋や代官所等も、多数ありましたので、大阪4陣屋とともに特集もお届けしたいと思います。

 

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