敦賀方面の「日帰りお城巡り」の最後五番目は「敦賀城」(福井県敦賀市)です。

 

「金ヶ崎城」から「気比(けひ)神宮」の赤い大鳥居の前を通り「敦賀城」跡に向かいます。

 

時間があれば寄りたかった「気比神宮」は、「織田信長」の朝倉攻めで灰燼に帰しましたが、その後福井城の領主となった「結城秀康」によって社殿の造営が行われたそうで、赤い鳥居は「日本三大木造大鳥居」と言われています。

 

その前を右手に廻ったメイン道路を少し行った所と西側に流れる「笙(しょう)の川」の間のスクエアな住宅街が「敦賀城」の敷地のようです。

 

「敦賀城」城域と周囲の城遺構など

現在の城跡エリア内は住宅・商業地

 

「敦賀城」を本格的に整備して大きくし城下町の発展に尽くしたのが「大谷吉継」で、2016年の大河ドラマ「真田丸」では、「石田三成」の盟友として「関ケ原の戦い」では病を押して参戦したシーンが描かれていました。

 

「吉継」演じる「片岡愛之助」の柔らかなムードが、「三成」演じる「山本耕史」を傍から友情を温めながらアシストする優しさとして伝わってきました。

 

この二人の名演技の影響もあったのでしょうか、「吉継」ファンが多くいるようで、キャラクター「よっしー」はパンフレットを始めあちらこちらで見られました。また、若い二人連れの女性も、下記の寺院でも見かけました。

 

「大谷吉継」のキャラクター「よっしー」

 

「大谷吉継」についてもう少し付け加えておきますと、父親はよくわからないらしいですが、母親は「豊臣秀吉」の正室「おね=高台院」の侍女だったようで、「秀吉」の小姓として仕え、25歳の時に「敦賀城」城主となります。その後、「小田原攻め」の際の「忍城攻め」には「三成」とともに参戦、更には朝鮮出兵の「文禄の役」でも「三成」とともに軍奉行として渡海しています。

 

「秀吉」死後には「徳川家康」に接近し、「上杉討伐」に向かう途中に、「三成」と「佐和山城」で会談して西軍で参戦することを決意しました。

 

「敦賀城」城主だった「大谷吉継」の肖像画

 

さて「敦賀城」は、現在遺構が殆どなく、絵図や屏風等に小さく描かれているだけの幻のお城とも言われてきましたが、最近は発掘調査などが始められているそうです。

 

「越前図絵図」には三層の天守が描かれていて、その姿は「敦賀西小学校」の校門横に設置された真っ黒な石に文字が刻まれた大きな「敦賀城案内」碑の中に見ることができます。

 

「敦賀西小学校」の校門横に設置された「敦賀城案内」碑

「敦賀城案内」碑

「敦賀城案内」碑に描かれた「三層天守」(越後国絵図より)

 

そこには、1615年の「一国一城の令」後の事が説明されています。

その後1624年に「小浜城主」となった「京極忠高」がこの地域も領有し、次に入城した「酒井忠勝」がこの地を支配下に置きました。

 

支配下を管理する為に、藩主の宿泊休憩所としてお茶屋(陣屋)を置き、町の支配・警察・裁判機能を持つ南北奉行所、支配地から年貢を取り立てる代官所を、「敦賀城」だった中心地跡に設けて明治4年の廃藩置県まで置かれ、その後はこの場所が一時「敦賀県庁」として使用されました。

 

「敦賀西小学校」の校門前の「敦賀城案内」碑の中には、奉行所・代官所当時の建造物の配置図が詳細に記載されています。

 

「敦賀城案内」碑の中に掲出されている「敦賀役所図」

 

「敦賀城」の遺構を訪ねていきますと、まずは「笙(しょう)の川」を渡ってすぐの所に建つ「来迎寺山門」には「城門」が現存移築されていて、その正面脇にも表示が見られます。

 

「笙の川」を渡ってすぐ左へ入る

「来迎寺山門」に位置されている「敦賀城城門」(表側)

「来迎寺山門」に位置されている「敦賀城城門」(裏側)

 

また「真願寺」は「敦賀城」の北西方向隅の「乾門」跡付近に建てられたお寺で、境内には「敦賀城跡」碑とお城の礎石が残り展示されています。また、鬼瓦も置かれていますが、これには特に説明書きはありませんが、お城の鬼瓦であればいいのにな~と思って写真を撮りました。

 

「真願寺」山門

「真願寺」境内に立つ「敦賀城跡」碑と「敦賀城礎石」

「真願寺」境内にある「敦賀城礎石」(どこの礎石?、乾門かな?)

「真願寺」境内に置かれた鬼瓦(お城のモノかどうか?)

 

このお寺の場所がナビでなかなか探しあてることが出来ず、凄く時間を要してしまい、最後には一方通行を逆走しそうになり、近隣の方に注意を受けるなど大変焦った所でした。

 

そういうことで、「敦賀城」内にあったと伝わる「龍の欄間飾り」や「礎石」「鬼瓦」、「大谷吉継」が寄進したという「石燈籠」などがあるという「八幡神社」には寄ることが出来ず、その近くを通って見た「三の丸跡」の板碑のみ写真に納めて、レンタカー返却場所へ急ぎました。

 

「三の丸跡」板碑

「三の丸跡」板碑のある周辺

 

「敦賀駅」は、16時23分発の湖西線廻りの新快速「網干行」に乗車して、大阪へ向かいました。

 

新快速「網干行」(JR西日本敦賀駅)

 

余談ですが、日本一長い距離を走る普通列車(新快速・快速含む)」が、JR西日本の新快速で、私が乗車した列車の1本後の新快速「敦賀発」16時49分発「播州赤穂行」で、途中で列車番号は変わりますが、同じ車両で275.5kmを4時間6分かけて走ります。勿論途中で乗務員は3回位の交代があるようです。

 

JR西日本の「新快速」は今年で50年、記念事業も行われていますが、当初の京都駅~西明石駅間から、現在北は福井県敦賀市、東は兵庫県赤穂市までと延長され、車両も特急並みの快適なクロスシートで快適な旅ができる優れものです。

 

新快速の快適な車内

 

今回利用した「休日ぶらり旅きっぷ」を始め、お得切符の発売もあるので、またこれらを利用して「お城巡り」を楽しみたいと思います。

 

 

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