先日の11月14日(土)の「日帰りお城巡り」は、大阪府から福井県まで足を延ばし、続・日本百名城の「佐柿・国吉城」→同じく続・日本百名城の「玄蕃尾城」→「敦賀(鞠山)陣屋」→「金ヶ崎城」→「敦賀城」(敦賀奉行所)を巡る小旅行を計画しました。
「若狭国吉歴史資料館」入口にある門扉は「佐柿町奉行所」の遺構
11月14日(土)は、敦賀(つるが)方面が快晴になるという週間予報が出ていましたので、前日にWEBでJR西日本の「休日ぶらり旅きっぷ」を発注しました。
JR西日本の「休日ぶらり旅きっぷ」
この切符は、土日祝に使用できて、北は敦賀、西は上郡、東は柘植、南は和歌山までの乗り放題切符で、なんと2,600円という超お得な切符です。ただし当日発券ができないので、事前発注をしておき、当日に駅の「みどりの券売機」で切符を受け取らなければなりませんが、大阪・敦賀間の往復料金は本来4,620円ですから、そのお得感を実感できます。
JR西日本の「休日ぶらり旅きっぷ」のパンフ
当日は、大阪発7時45分発の敦賀行新快速に乗車しましたが、土曜日でもあったのでこの時間帯としては難なく座ることができました。列車は湖西線廻りで、途中前4両が近江今津で切り離されて敦賀には9時50分着、2時間5分の所要でしたので全く苦にもならず、左手に琵琶湖面を見ながら車中を楽しめました。
「敦賀(つるが)駅」は、だいぶん以前に何度か下車したことがありましたが、現在は、「北陸新幹線」の「金沢」から「福井」を通り「敦賀」までの延伸工事真っ最中ですので、駅前もかなり整備が進められていました。
福井・金沢方向(北陸新幹線工事真っ最中、先日の新聞報道では2023年春開業から少し遅れるとか)
JR「敦賀駅」前の整備も進み随分変わっていました
「敦賀」での足は、天候確認を行い1週間前に予約していた「ニコニコレンタカー」の白銀店からのスタートとなりました。車種は、いつもと同様軽自動車で今回は薄ピンクの「アルト」でした。6時間で会員価格2,860円とこちらも格安車を選びました。
まず最初に予定に入れていたのが、「佐柿・国安城」(福井県美方郡美浜町)で、日本城郭協会の「続・日本100名城」に選定されているお城で、一旦「敦賀市内」を出て「美浜市」に向かいます。
当城の駐車場には、約25分で到着し、まずは「若狭国吉歴史資料館」に行きました。思っていた以上に来場者が多く、多分1週間前の大河ドラマ「麒麟がくる」の中で「織田信長」の「朝倉攻め」に登場し、最後の紹介映像でもこのお城が映し出されていた影響だと思いました。
私は事前に、こちらの資料館からパンフレット等の送付をお願いして頂いていたのでこれから登城する見所チェックは既にしていましたが、この館内で最も見たかったのが、館内に現存移築されているという情報を得ていた「佐柿町奉行所」の門とその座敷の遺構でした。
これらは、旧庄屋の「田辺家」が明治時代になって払い下げられて使用していた建造物だとうことで、その前は、この歴史資料館の敷地に、江戸時代に建っていた「佐柿町奉行所」の遺構ということです。
「佐柿奉行所の門扉戻る」の新聞記事(館内に掲出)
当初の城下は、「国吉城」の麓の「城主居館」を中心に当時の「羽柴秀吉」の家臣「木村定光」によって整備された城下町らしいです。
そして1634年に、この地域を領有する「小浜城」に入った「酒井忠勝」によって、「佐柿」を「小浜藩」の東の政治・経済の拠点とするべく「佐柿町奉行所」を置きました。
この奉行所は江戸時代通じて存在し、藩主「酒井家」の領内巡検や参勤交代の宿泊地・休憩所にも活用されたそうで、敷地内には「御茶屋屋敷」も設けられていました。
現在は、「歴史資料館」の敷地として利用されていますが、西側に向けた段々には石垣が綺麗に残っています。
「佐柿町奉行所」跡地に建つ「若狭国吉歴史資料館」と奉行所時の石垣
「佐柿町奉行所」跡地に建つ「若狭国吉歴史資料館」と奉行所時の石垣
「佐柿町奉行所」跡地の石垣で角石は大きな石を使用
「佐柿町奉行所」跡地の段下の敷地
前述の「町奉行所」の遺構ですが、「歴史資料館」に入ってすぐの所に、まず「門扉」が我々を迎えてくれます。凄く古びた感じですが、流石に元「町奉行所」門の一部であったことがわかる八双金具や饅頭金具が付いていました。
「若狭国吉歴史資料館」入口にある「佐柿町奉行所」の門扉
「佐柿町奉行所」の門扉(八双金具や饅頭金具が付く、向かって左側)
「佐柿町奉行所」の門扉(八双金具や饅頭金具が付き潜戸もある、向かって右側)
入って右手には「町奉行所」の座敷が当建物の一部として取り込まれた形で復元されています。紅色をした壁が美しく、二つの床の間、脇には簡単な付書院を設けた居間の他に、幾つかの部屋で構成されていました。元々の「町奉行所」の居室からはだいぶ手が加えられているとは思いますが、当時の雰囲気を味わうことができる遺構でした。
「歴史資料館」の南東隅に建てられた建物の中に「佐柿町奉行所」の部屋を移築
「歴史資料館」の中に移築された「佐柿町奉行所」の部屋の遺構(主居間)
「歴史資料館」の中に移築された「佐柿町奉行所」の部屋の遺構
「歴史資料館」の中に移築された「佐柿町奉行所」の部屋の遺構
「町奉行所」関連では、そこから約100m弱坂を下りた右側に広場が拡がっていますが、そこが「准藩士屋敷」跡です。石垣が少し見えますが草で覆われていました。
幕末の1864年に「水戸藩」で発生した藩内の後継者問題や尊王攘夷の強行で騒乱を起こし、更に「京」へ向かって当時の「一橋慶喜」に尊王攘夷を訴えようとした「天狗党」でしたが、結果は、失敗して「加賀藩」に投降しその一部を「小浜藩」の監視下に置かれ、その後は預かりになった100名を「准藩士」として住まわせた屋敷が「准藩士屋敷」です。
「佐柿町奉行所」管轄下の北側には、「佐柿関所」を設けて、そこでは石垣と垣根に覆われた枡形を形成して冠木門が建てられていたそうですが、現在は碑があるのみで、少し道がくねっているのが確認できるだけです。
「佐柿関所」跡碑
そこから、南下した所には、「高札場」が置かれてましたが、現在はここも碑のみですが、周囲には古い建造物もありそれらしい雰囲気がありました。
「高札場」跡碑
本日は、麓の「佐柿町奉行所」をお届けしましたが、次回のブログでは「国安城」の麓の「城主居館」跡から、山上の「本丸」跡に向かってお届けしていきたいと思います。
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