コロナ禍の中(10/29~30)、初めての一泊二泊の「お城巡り紀行」、二日目の一城目は「岩村城」(岐阜県恵那市)です。
「岩村城」といえば「六段壁(ろくだんへき)」(ここからみると七段壁に見えます)
宿泊は恵那市内でしたので、「岩村駅」から出ている「明知(あけち)鉄道」8時3分発に乗車しました。二両連結の車両には「麒麟がくる 明智光秀」のラッピングがされていて、今まさに旬の列車です。 ※こちらの「あけち」は「明知」です。
「明知鉄道」の「麒麟がくる 明智光秀」のラッピング列車
通学時間帯ですので、車内の座席の殆どは高校生、大人はというと殆ど私くらいでした。
「岩村駅」で下車して、予定表では「伝統的建造物群保存地区・岩村町」を通り抜け、「藩主邸跡」まで約30分、そこから「本丸」跡まで30分としていましたが、できれば前倒しで進みたく少しスピードアップして進むことにしました。
この保存地区は、2018年上半期の朝ドラ「半分青い」の舞台となった所で、朝ドラファンである私は、テレビの中で馴染みのある風景の中を歩んでいきました。
早朝の「伝統的建造物群保存地区・岩村町」
まだ、朝早く殆どの店舗は扉を閉めていましたが、開店前の有名どころの店舗や伝統的建造物群の写真を撮りながら、なだらかな坂を上っていきました。
早朝の「木村家」(岩村藩の財政を支えた問屋で、御用金調達を何度かする。藩主専用の玄関がある)
早朝の「土佐家」(染物屋)
「伝統的建造物群保存地区・岩村町」の詳細については、帰り道で紹介していきたいと思います。
保存地区から「常夜燈」のある所を左に曲がり、更に右に曲がった所に藩校「知新館」跡がありましたがそれを見逃して、その前にある藩政時代に藩校生徒が喉を潤したという井戸「温故の井」を写真に収めました。
藩校生徒が喉を潤した「温故の井」
その辺りから石垣の段が見られ、関連建物が建っていたと思われますが、すぐ前には、「藩主邸跡」に建つ復興「太鼓櫓」が丁度昇る陽に照らされて眩しげに建っています。復興の「御正門」「平櫓」そして現存移築された「知新館正門」とともに邸跡西隅に並んで建つ姿は、我々観光客をお迎えするように謙虚に見えます。
復興「太鼓櫓」
復興の「太鼓櫓」と「御正門」
復興の「御正門」
復興の「太鼓櫓」「御正門」「平櫓」
復興の「太鼓櫓」「御正門」「平櫓」、右は現存移築された「知新館正門」
現存移築された藩校「知新館正門」
「御正門」の階段を上って拡がる広場は非常に広く、奥に建つ「岩村歴史資料館」は小さく見えます。戦国時代には、山上の「本丸」を居城としていましたが、1601年に入城してきた「松平家乗」はこの山麓に居館を設けました。
「藩主邸宅」跡(奥に「岩村歴史資料館」、左は現存移築された「知新館正門」
「岩村歴史資料館」手前の少し判り難い所には、江戸幕府の儒家である「林大学頭」の「林淡斎」が、藩主「松平乗保」(老中で78歳まで存命の長寿大名)に寄贈した灯籠が立ちます。これは、江戸藩邸にあったもので、昭和47年に「松平家」が岩村へ寄贈したものです。もう少しアピールしたら良いのにと思いました。
儒家「林大学頭」の「林淡斎」が、藩主「松平乗保」に寄贈した灯籠
ここで少し「岩村城」の城主、歴史等を触れておきます。下記の通り、何かとエピソードが多い歴史です。
12世紀後半に「加藤家」が城を築いたとされ、その後「加藤家」は「遠山家」と名乗ります。そのうち「遠山影任(かげとう)」は、「織田信長」に臣従し、1570年に「武田方」から攻められますが、その時には「明智光秀」が援護撃退します。
「影任」が亡くなったので、「信長」の五男「勝長」をその養子としますが、「影任」の未亡人(「信長」の叔母)は、幼少の「勝長」に代わって女城主として采配を振るいました。
しかし、武田方の「秋山信友」は、再度攻城を行うとともに女城主に求婚してそれがを受け入れられたことで「信勝」が人質として甲斐へ送られてしまいます。これに激怒した「信長」は、「岩村城」を攻めて奪還するとともに、「信友」とともに女城主も処刑しました。
その後は、「本能寺の変」で「信長」とともに死んだ「森蘭丸」の兄「森長可(ながよし)」が城主になって城を改修しますが、「小牧・長久手の戦い」では「羽柴方」で憤死し、その弟が入ります。しかし「関ケ原の戦い」では西軍で戦ったので攻撃を受け、戦後は「松平(大給)家乗」が入ります。
その後、「丹羽家」入封し4代続きますが、1702年に再度「松平(大給)家」が入って藩主が定着し、幕末・維新まで続きます。
さてお城の「本丸」は、山頂721mの最も標高が高い場所に置いた山城で、山の形や急峻な地形を巧みに利用しながら縄張りを行い、曲輪は、「本丸」「二の丸」「東曲輪」「帯曲輪」「出丸」「八幡曲輪」を設けています。
それでは登城口から、順番に上りながら紹介していきたいと思います。
登場口から「一の門」までは、「藤坂」と呼ばれる長い坂が続きます。途中、有事に備えて門を設ける場所である「初門」では、非常に急で行く手を大きく曲げた箇所があります。「土岐門」辺りまでは、畳石が敷かれています。
「藤坂」
初門
「初門」跡
各ポイントには、解説と併せて、どのような建造物がどのような配置で置かれていたかが解る絵図が掲出されているのと、解説板下のバーコードにスマホを近づけるとその当時のCG映像が映し出される仕組みとなっていて、非常にバーチカルに理解できるようになっています。
「一の門」は、櫓門が建ち、右には多聞櫓、左には土塀、手前は石垣を大きく張り出させて死角を作ったような所があり、現在は石畳に沿って石垣が続きます。また、右上の曲輪には「番所」が置かれて監視していました。
一の門
「一の門」跡
「番所」が置かれた曲輪(右下が「一の門」跡)
そこから左へ階段を上がると第二の門である「土岐門」があり、薬医門か四脚門が建っていたそうです。門の名前の謂れは、「土岐家」を破ってその戦勝の意味を込めて「土岐家居城」の門を移築したことから名付けられたらしいです。
土岐門
「土岐門」
「土岐門」内側から
「土岐門」に続く第三の門が「追手門」で、手前には「畳橋」が空堀の上にL字型で架かり、その奥には「三重櫓」が睨みを利かせていました。「三重櫓」は、城内最大の建造物で、天守代用として、城下からも見えるような位置に置かれていました。
現在「畳橋」の所は道になっていますが、「追手門」は石垣や「三重櫓」の櫓台、「空堀」の一部は残されています。
畳橋
追手門・三重櫓
「追手門」跡と「畳橋」跡
「三重櫓台」
「三重櫓台」
「追手門」「畳橋」跡へ(上から)
ここを抜けると、両側の曲輪の間に真っすぐな道が延びていて、左側は「八幡曲輪」、右側にも「竜神の井戸」を持つ大きな「曲輪」がありました。特に、右側の更に上段の曲輪内には、「霧ケ井(きりがい)」という城主専用の霊泉があって、敵が攻めてきた時に蛇骨を投げ入れると霧に覆われて城を守るという伝説がある井戸です。「霧ケ城」とも言われる当城名は、そこから付けられたもので、現在も、前述の「竜神の井戸」とともに健在です。
両側の曲輪の間に真っすぐな道が延びていて、左側「八幡曲輪」
「竜神の井戸」
「霧ケ井(きりがい)」という城主専用の霊泉
左手の「八幡曲輪」も広く、その最奥部には「遠山家」が崇敬していた「八幡神社」が造営されて「本殿・拝殿」と「八幡櫓」が建っていました。現在は、曲輪を囲う石垣と「八幡社」へ上がる階段が残る程度です。
竜神の井戸」が掘左は「八幡曲輪」、右は「られた曲輪
「八幡曲輪」の石垣
「八幡曲輪」跡
「八幡曲輪」内の「八幡神社」跡
その斜め右手に拡がる曲輪が、城内最大の曲輪の「二の丸」で、番所、役人詰所、朱印蔵、武器庫、米蔵等が並んでいて、その中心部には「弁天池」が掘られていました。しかし現在は、木々に覆われて中まで入ることができない状態です。
「二の丸」より一段高い曲輪の角には「菱櫓」が建てられていました。ここは、敷地の角地ですが地形が方形となっていないことから、地形に併せて角度が90度を超えて拡がっています。
「菱櫓」台跡(丸みを帯びている)
「菱櫓」台跡(丸みを帯びている)
この前には、「俄坂(にわかさか)門」が二層の櫓門で建っていて、戦国時代までは「岩村城」の正門だったようですが、現在は、そこからの下り道の跡が見られる程度で石垣等もみることはできませんでした。
「俄坂門」跡
さて「岩村城」の最大の見せ場である「六段壁」が真前に鎮座しています。見事なまでの段々で、元々は高石垣であったものが、江戸時代後期に石垣の崩落を防ぐために下段へ石垣を継ぎ足し、継ぎ足しを繰り返した結果出来た石段だそうです。
真正面からの「六段壁」
やや下から見上げた「六段壁」(左下には巨石)
その巨石をクローズアップ
私は、早い時間に登城したと思っていましたが、この前には既に数人のお城ファンの方々が色々な方向から写真撮影をされていました。
私も、正面からや、「本丸」下にある「東曲輪」横から、必死になって十分なくらいに写真を撮りました。しかし、帰り際にもう一度、名残惜しく「六段壁」を撮ることになるとは・・・また、その時に発見したのが、見る場所によっては「七段」に見えるのでした。
見上げ「東曲輪」横からた「六段壁」
横から撮った「六段壁」
帰りに撮った「六段壁」ですが「七段壁」に見えませんか?(本丸「埋門」の門台でしょうか)
本日のブログ(前編)はここまでとさせていただき、次回ブログ(後編)では「本丸」から城下の「伝統的建造物群保存地区」界隈をお届けしたいと思います。
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