先日、久々に「お城巡り」をして、ブログでは「八幡山城(前編)」をお届けしました。

 

「前編」では、石垣で溢れる山上の山城と麓から中腹近く迄のびる「豊臣秀次」居館跡を見てきました。

 

本日のブログでは、「八幡山城(後編)」(滋賀県近江八幡市)をお届けします。

 

先日触れましたが、「八幡山城」は、近くにあった「安土城」が、1582年の「本能寺の変」で「織田信長」が倒れた直後に放火されて燃え落ちたことから、「秀次」は「八幡山」にお城を築くにあたり、一部安土城下から町や寺などを移し多くの住民を山麓に移住させたといいます。そして、「信長」が行ったように、「楽市楽座」を導入して商業振興を実践したといわれています。

 

戦国時代末には、「秀次居館」を守る為に「八幡山」の麓に掘られたのが「八幡堀」のようです。その後周辺に水脈を利用すべく集積してきた商家群が、江戸時代通じて一層発展しながら継続したものが現在見られている姿のようです。

 

「八幡堀」沿いの蔵や旧家

重要伝統的建造物群保存地区の「新町通り」

 

現在、近江商人の守護神として長年に亘って地元民衆に信仰と加護を集めてきた神社「日牟禮(ひむれ)八幡宮」を中心に発展を遂げてきました。

 

近江八幡マップ

「日牟禮(ひむれ)八幡宮」の山門

「日牟禮(ひむれ)八幡宮」の神殿

 

「八幡堀」は、ほぼ東西に掘られていて水流があり、水堀巡りで周囲の街並みを見ずべりから見上げることになりますが、堀上からその見下ろす風情は趣が感じられます。

 

この堀を渡る二つの橋「明治橋」と「白雪橋」がメインになり、この界隈の堀沿いには、蔵や旧家が多数並び石畳を散策できます。

 

「明治橋」から「八幡堀」西方向を見る

「白雪橋」から「八幡堀」東方向を見る

「白雪橋」から「八幡堀」東方向を見る

「白雪橋」から石畳の散策道を見る

 

堀沿いの石垣は江戸時代の後期に積み直されたのか「落とし積み(谷積み)」になっていたり、「明治橋」西側の堀が少し北側に折れる岸には、船を付けることができるような数段の石段があります。この付近から見上げる「八幡山」は、「西の丸」の石垣なのでしょうか、お城の一部であることが解るポイントでもあります。

 

「八幡堀」沿いの石垣は「落とし積み(谷積み)」

船着き場の石段

ススキと八幡山とのコラボ

八幡山上の「八幡山城」の「西の丸」跡

もう少し西側の本町通りからの「八幡堀」

 

現在、観光客にとっては、この界隈が最高の見所のポイントとなります。

 

さて、「八幡堀」南側に走る大通りから南側に走る通りが多数ありますが、特に「新町通り」は、「旧西川家住宅」や旧家を利用した「歴史民俗資料館」そして「郷土館」「旧伴家住宅」が建ち並び、江戸時代の風情を体験できる場所で、「近江八幡」の映像として良く使わる通りです。

 

通り沿いの旧家

観光案内所「白雪館」

 

山上では眺めが最高だった天気も、下山して散策しているうちに少しずつ時雨だしてきて、「八幡堀」には雨模様が綺麗に作られていましたが、この自転車で「近江八幡駅」まで急ぐことにしました。

 

「本丸」跡「村雲御所 瑞龍寺門跡」からの城下

「二の丸」跡「展望台」からの城下

ロープエイからの城下

重要伝統的建造物群保存地区の「新町通り」(南方向)

重要伝統的建造物群保存地区の「新町通り」(北方向)

重要伝統的建造物群保存地区の「新町通り」(旧西川家住宅)

重要伝統的建造物群保存地区の「新町通り」

重要伝統的建造物群保存地区の「新町通り」

重要伝統的建造物群保存地区の「新町通り」(旧伴家住宅)

 

この日の「秋の関西 1デイパス」(3,600円)を使った小旅行は、前編で述べたように、「山上陣屋」(滋賀県東近江市)→「八幡山城」(滋賀県近江八幡市)→「三上陣屋」(滋賀県野洲市)に順番で回遊しましたが、先に「八幡山城」を届けしましたので、次回ブログでは、当日の最初に巡りました「山上陣屋」、そして「三上陣屋」を紹介したいと思います。

 

 

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