外圧で開国を迫られ、安政の大獄や将軍継嗣問題、攘夷運動等が高まる中で幕府が威信低下していく幕末から、最後の将軍”徳川慶喜”が大坂から江戸へ逃避する迄の期間中に起こった出来事に纏わるお城をシリーズ化しました。

 

幕末・維新の経緯  https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12628091533.html 


昨日のブログから「二条城」(京都府京都市中京区)をスタートしました。本日はその(中編)で、現在見ることができる「二の丸」の遺構を見て回りたいと思います。

 

「二条城(前編)」 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12628491556.html

 

まず現在の出入口である「東大手門」(重文)から見ていきます。この門は正門にあたり「渡櫓門」になっています。門は、軒庇付連子窓の下に石落としを設け、鉄板を貼った門扉で堅固にしています。

 

「東大手門」(重文)

「東大手門」(城内側より)

「東大手門」(城外から、軒庇付連子窓の下に石落とし、鉄板を貼った門扉)

「東大手門」脇の石段

 

当門の北西にある「北大手門」もこれと同形式ですが、ひと廻り小さ目に造られていて朝廷対応の「大手門」の位置づけでした。

 

「北大手門」(重文)

 

「東大手門を潜ると、右手に大きめの「番所」(重文)が建って前側は畳敷となり、ここで入城者あらためをしていました。

 

「番所」(重文、東大手門側より)

「番所」(重文)

 

そして突き当りには、西側奥に建つ「二の丸御殿」を守るかのように御所風の「築地塀(ついじべい)」が南北に走っています。

 

御所風の「築地塀」(重文)

「築地塀」(重文)

 

塀を右手に見ながら左へ折れると、左奥には現存で二重の「二の丸東南隅櫓」(重文)が建ち、この対として西南隅には「二の丸西南隅櫓」(重文)が建ちます。「東南隅櫓」の南側には「千鳥破風」が、「西南隅櫓」の西側には「唐破風」を付けていますが、それ以外は、二階壁の「長押(なげし)」、窓の形など全体の形も同形式になっています。

 

「二の丸東南隅櫓」(重文、城内側より)

「二の丸東南隅櫓」(重文、外堀越し、千鳥破風が付く)

「二の丸西南隅櫓」(重文、唐破風が付く)

「二の丸西南隅櫓」(重文、唐破風が特徴)

 

「築地塀」が西に折れ曲がった所に、桃山形式の色鮮やかなで彫刻が美しく豪華な切妻造・檜皮葺の「唐門」(重文)が建ち、門の間から見える「二の丸御殿」の「車寄」と「遠侍」の建物に惹かれます。

 

「二の丸御殿唐門」(重文)

「二の丸御殿唐門」(重文)

「二の丸御殿唐門」(重文)の桃山風の彫刻

 

惹かれるものを後に残して、先に「二の丸」の周囲を一周したいと思います。

 

壁に沿って西側へ進み北側に折れた所に長屋門形式ですが少しサイズが短めの「桃山門」(重文)が建ちます。扉わきには警備兵の番所控室があります。

 

「桃山門」(重文、長屋門形式)

「桃山門」(重文、長屋門形式)

 

そこから西側へ更に進んだところには「南中仕切門」(重文)が建ちますが、北側にも同じ門形式の「北中仕切門」(重文)があります。この門は、石垣をくり抜いたような「埋門」形式で、冠木を初め鏡柱や扉全てに鉄板が張られ非常に堅固な門でした。また、屋根は独特な形をしていて「剥(むくり)屋根」を採り入れています。

 

「南仲仕切門」(重文)

「北中仕切門」(重文)

 

前述した「西南隅櫓」を左奥に見ながら右へ折れると、真ん中に枡形の堅固な「本丸西虎口」があり、その南北にほぼ同形式の米蔵として使用されていた「北土蔵」「南土蔵」(いずれも重文)が並びます。

 

「本丸西虎口」跡

「南土蔵」(重文、米蔵として使用)

「北土蔵」(重文、米蔵として使用)

「西二の丸内にある井戸」

「西二の丸」内に集められた「旧二の丸の石塁」

 

「本丸西虎口」から北西方向に「西門」(重文)があります。現在は奥まで入れないですが、外から見ると門の上に土塀が施された埋門形式が良くわかります。15代将軍だった「徳川慶喜」は、「大政奉還」を宣誓した後二か月程「二条城」で過ごしましたが、退城する際には、当時は通用門であったこの「西門」から門前に架かっていた橋を渡りひっそりと落ちのびたそうです。

 

「西門」(重文、城内からのぞむ)

「西門」(重文、城外からのぞむ、埋門形式)

「西二の丸」内の土塁

 

「北土蔵」を右に折れて進み前述した「北中仕切門」(重文)を抜けると、左手に現在は「清流園」という庭園と茶室があります。これは、「角倉了以」の屋敷から一部の建物と庭園の石を運び込み池泉回遊式庭園を1965年に築庭しました。

 

「北中仕切門」(重文)

「清流園」内の茶室(1965年に作庭)

 

その南側、前述の「桃山門」と対となるように薬医門形式の「鳴子門」(重文)が「本丸」への出入りを監視します。「本丸」への入城をもう少し後にして、更に真っすぐに進むと、左手北側に「北大手門」が建ちます。

 

「鳴子門」(重文、薬医門形式)

「鳴子門」(重文、薬医門形式)

鳴子門付近からのぞむ「本丸石垣」と「北土蔵」

 

そこから右手に折れた南側には、三つ目の「土蔵」(重文)と「二の丸長屋門」が並びます。そこから「築地塀」の内側に沿って南方向へ「倉庫」が建ちますが、こちらは復元したものです。

 

「二の丸長屋門」と「土蔵」(重文)が連結

「二の丸長屋門」と「土蔵」(重文)が連結

「土蔵」(復元)

「土蔵」(復元)

 

またこの西側には、「台所」と「御清所(おきよどころ)」が現存し、「台所」の内部は、広い土間と板敷きの広間、御善所、囲炉裏の間がありました。「御清所」は料理する為の建物で調理から盛り付けまで行われ、二つの建物は付廊下で結ばれていました。これらは、次回のブログ(後編)でお届けする「二の丸御殿」の付属建造物という位置づけでした。

 

「御清所・台所」(重文)

「御清所・台所」(重文)

「御清所・台所」(重文)

「御清所・台所」(重文)

 

次回のブログ(後編)では、二条城の「二の丸御殿」と「本丸」跡をお届けいたします。

 

 

下記バナーのクリックをどうぞよろしくお願いいたします。

お城巡りランキング
  にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

PVアクセスランキング にほんブログ村