1700年代後半からロシア船による「蝦夷」(北海道)への来航が相次いだので、江戸幕府は「蝦夷地奉行」(後に箱館奉行)を置いて海防対策を取るようになりました。
更に1854年の「日米和親条約」締結で箱館の港を開港することになったので、「蝦夷」(北海道)は「松前藩」以外の領地を幕府が管理するようになりますが、国防の為に各所の前線基地には、東北諸藩から要員の配備を含めて「出張(でばり)陣屋」を設けさせました。
本日お届けするのは、「南部藩」が管轄した「モロラン陣屋」(北海道室蘭市)です。
モロラン陣屋平面図面(資料館に掲出)
前回のブログは「ヲシャマンベ陣屋」を紹介しましたが、そこは「モロラン陣屋」の分屯所になります。
当陣屋は1856年に築かれ、13年間に南部藩から守備兵を送り込んでいました。
南側が「表門」となり、入口は虎口となっていて、水堀を備えています。また北東隅には「裏門」が築かれました。
表門跡に立つ「モロラン陣屋」跡碑
表門跡に立つ「モロラン陣屋」跡碑
表門跡
表門跡の右側に延びる土塁、手前が湿地となった堀
表門跡に向かって左の掘と土塁
裏門跡と裏門跡碑
裏門跡の南側の空堀
周囲は土塁で囲われたスクエアな形をしていて、その内側は「内陣」と呼ばれています。
周辺土塁(南から北向け)と空堀
周辺土塁(表門跡方向、西側から)
北東隅の土塁
「内陣」には、守備兵の藩士が滞在できるように、「詰所」や「長屋」等が築かれていて、その礎石が残されていいます。
内陣跡の全景(北西側からのぞむ)
現在は、「見番」「奉行医師」「先手」「稽古場」」「武器庫」「馬屋」等の標識によって、内陣内の諸施設の位置が分かるようにされています。
米蔵跡
鉄砲武者跡
御奉行医師跡
御武器庫跡(奥に裏門跡)
御先手跡
御見番跡
稽古場跡
「内陣」の北側の土塁より外側には、藩士達が植樹した木々が繁り、その中には「火薬庫」跡の碑が立っています。
「火薬庫跡」碑
陣屋跡に隣接する所には、「室蘭市民俗資料館」がありますので、「モロラン陣屋」についての詳しい説明が非常に助かりました。
こちらの陣屋跡は、「東蝦夷地南部藩モロラン陣屋跡」として国指定の史跡に選定されています。
この辺り一帯は、高台になっていますので、現在は、南側一帯に広がる「JX日鉱日石エネルギー室蘭製油所」を構成する構築物がよく見渡すことができました。
「JX日鉱日石エネルギー室蘭製油所」を陣屋から見下ろす(陣屋南側から)
道南バス「陣屋」停留所(ここからJR室蘭駅まで乗車しました)
次回は、「白老陣屋」をお届けします。
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