先日まで継続して投稿してきました、『明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城』を紹介するシリーズは終了しました。

 

これは、今まで各お城紹介の冒頭で再三以下のように説明してきました。

 

「薩長」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にし、一方、新政府に“朝敵”の赦免嘆願する為に東北諸藩が一丸となって「奥羽越列藩同盟」を結成しましたが、それを拒否されたことから「同盟」が新政府軍と戦う意思を示し、奥羽越エリア内の各所で地域戦の戦いが繰り広げられました。

 

奥羽越内の各藩では、新政府軍に寝返ったり降伏したりして、お城を開城するところもあれば、戦果を交えて落城したり、或いはお城を敵方の戦線に利用されないよう自ら燃やして逃げる等を行いました。

 

最終的には「会津若松城」城下で新政府軍が攻め立てた「会津戦争」によって、多くの人身を失い会津藩が降伏し終結しました。

 

これで一旦解決したかに見えましたが、旧幕府軍は、江戸湾から回航した旧幕府軍の軍艦に乗船した旧幕軍と仙台から乗船した桑名藩主、旧幕臣、新選組残党等が合流して約3,500人にもなり、蝦夷(北海道)へ自らの存在を得るために移動を果たしました。

 

蝦夷地(北海道)では、「松前藩」以外は幕府直轄地であったことから、「箱館奉行所」を置いたり東北諸藩に「出張陣屋」を設けて出兵させていました。しかし、「松前藩」の「松前城」は新政府軍の拠点となったことで、「五稜郭」内の「箱館奉行所」も新政府軍が駐屯し「箱館府」を置きました。

 

五稜郭(五稜郭タワーより見下ろす)

五稜郭タワー

 

しかし1869年10月には「五稜郭」への「大鳥圭介」と「土方歳三」率いる旧幕府軍の箱館進撃によって、新政府軍は「五稜郭」を放棄して旧幕府軍は「無血入城」を果たします。

 

五稜郭内の復元「箱館奉行所」

 

更に、新政府軍方に付いた「松前城」攻めを、「土方」軍が砲撃を繰り返しながら搦手門から入り落城させます。

 

「松前城」の「搦手」(反橋と三本松土塁と搦手ニノ門)

松前城(重文表御門と外観復元天守)

 

一方、旧幕府軍の「榎本武揚」率いる軍艦数隻が江差沖に結集するも座礁を繰り返して制海権を失ったので、新政府軍の大軍を乗せた軍艦寄港を許してしまい新政府軍の盛り返しを助けることになりました。

 

その後12月には、一旦、旧幕府軍が蝦夷地を平定しますが、新政府軍は上野彰義隊との戦いも収拾したことから大量の軍隊派遣が可能となったことと、前述の旧幕府軍の制海権の喪失によって、新政府軍上陸を優位にして猛攻撃が開始されます。

 

新政府軍は、上陸後「木古内口」「二股口」等経由の4つのルートで、途中旧幕府軍と戦いながら箱館の拠点である「五稜郭」を目指します。また、「箱館山」下箱館の「立待岬」からも上陸して山を征服し、そこからも北上して「五稜郭」を目指しました。

 

「戸切地(ヘキリヂ)陣屋」(四角形の陣屋、新政府軍のルート上で旧幕府軍は撤退)

「戸切地陣屋」(土塁から亀の頭部分方向)

「立待岬台場」方向と函館市内(五稜郭タワーより)

「箱館山」(五稜郭タワーから)

 

一方、旧幕府軍も各所に砦や「四稜郭」のような簡易な土塁だけのお城を急造したり、既に有った「千代ケ岱陣屋」を守備と戦闘態勢がとれるお城に造り直して防戦準備もしていました。

 

「四稜郭」の絵図

「四稜郭」虎口

 

箱館山麓の箱館湾側に置かれていた旧幕府軍の「弁天台場」に取り残された兵たちを助けるべく出撃した「土方歳三」は、その途中の「一本木関門」で敗死します。

 

古写真「弁天台場」(五稜郭タワー内に掲出)

現在の「弁天台場」方向(跡形もない)

「土方歳三」が敗死した「一本木関門所」跡

 

その後の戦線については、色々とありましたが、ここで触れるのを割愛します。

 

そして次々と旧幕府軍の防衛線が突破されて、ついに1869年5月に新政府軍は降伏を勧告したことから、当時総裁だった「榎本武揚」はそれを呑み、「五稜郭」を明け渡しました。

 

五稜郭全景模型(五稜郭タワー内に展示)

 

この間に、この戦争(箱館戦争)に関わったお城「箱館戦争に関わったお城シリーズ」を、投稿したいと思います。

 

「五稜郭(箱館奉行所)」「四稜郭」「千代ケ岱陣屋」「戸切地(へきりじ)陣屋」

※「松前城」は、既に『明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城』を紹介するシリーズで掲載しましたので割愛します。

 

更に、その終了後は、蝦夷(北海度)繋がりで、18世紀後半からしばしば、蝦夷周辺に出没する「ロシア」艦船に対する警備の為に、幕府が東北諸藩に命じて北方警備の為に築かせた「出張(でばり)陣屋」を掲載していきたいと思います。

 

「モロラン陣屋」「白老(しらおい)陣屋」「長万部(おしゃまんべ)陣屋」「南部藩陣屋」

 

「モロラン陣屋」跡

「白老陣屋」跡

「ヲシャマンベ陣屋」跡

 

初回のブログは、「五稜郭(箱館奉行所)(前編)」(北海道函館市五稜郭)をお届けする予定です。

どうぞ、ご期待ください。

 

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