明治維新時に東北諸藩が結成し「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をしているシリーズです。

 

当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。

 

今回は、「八戸(はちのへ)城」(青森県八戸市)をお届けします。

 

「角御殿表門」(現 八戸市文化教養センター南部会館の表門)

 

盛岡藩初代「南部信直」の二代目藩主「南部重直」が、1664年に嗣子を決めずに逝去したので、将軍「徳川家綱」裁定によって、盛岡藩を 8万石に減封し、弟の「直房」に2万石を与えて築城したのが「八戸城」です。

 

八戸藩祖「南部直房」像(三八城公園内)

 

幕府裁定でできた藩ですので、「八戸城」は、盛岡藩の支城ではないという位置づけとなるそうです。

 

戊辰戦争では、「同盟」に消極的に参加し、終始曖昧な態度を取りますが、野辺地では新政府側の「弘前」軍と交戦しました。

 

八戸城」は、本丸と二の丸で構成されるシンプルな曲輪でした。「本丸」には、天守や櫓の建造計画があったそうですが、結局どちらも建造されず「御殿」と「門」のみのお城になりました。1829年に「新御殿」が建造された時には、従来の御殿よりも大きく増床されました。

 

また「本丸」には、「米蔵」「武器蔵」などの蔵群、書院に付随する庭がありました。

 

現在の「本丸」跡は、「八戸市庁敷地」と「三八城(みやぎ)公園」、そして藩祖の「南部直房」を祀った「三八城神社」の敷地となっています。

「三八城(みやぎ)公園」内には、「八戸城跡」碑や「八戸城本丸跡」碑が立っていて、高台になっている公園からは遠く八戸港も望める良い場所です。

 

八戸市庁舎敷地

八戸城跡全景(三八城公園)

 

「八戸城跡」碑

「八戸城本丸跡」碑

三八城公園から市内をのぞむ

 

「二の丸」跡は、「本丸」の南東に位置して、「角御屋敷」や「家老屋敷」、「馬屋」「藩校」が置かれていました。現在は、飲み屋や繁華街などの市街地エリアとなっています。

 

八戸城下二の丸付近

 

お城の遺構としては、「角御殿表門」が、「南部会館」の表門として再利用されており、棟門ではありますが、門の扉には饅頭金具と八双金具が付く立派な門です。現在、青森県の重宝に指定されています。

 

角御殿表門(棟門)

角御殿表門(棟門)

角御殿表門(棟門、4本の柱を冠木で繋ぐ)

 

街道から城下に入る最も南側には、、柵と杉の木で造られた「枡形」の土塁跡を見ることができる他、八戸南部家の菩提寺「南宗寺」には、「八戸南部家墓所」があり五輪塔が並んでいます。

 

枡形の土塁跡(街道から城下に入る最も南側、柵と杉の木のみ)の枡形跡碑

 

枡形土塁の横にある枡形神社

八戸南部家の菩提寺「南宗寺」山門(四脚門)

八戸南部家墓所の五輪塔

 

また、「旧八戸城東門」(市指定文化財)が、八戸城から西へ少し離れた所にあり、南北朝時代に南朝方の「南部家」の陸奥の拠点として築城され秀吉によって諸城破却令で破却された「根城」(青森県八戸市根城)跡の「根城史跡広場」表門に移築されています。

 

八戸城の東門(元は根城で使用、現在は「根城」入口に使用)

八戸城の東門

 

同市内にある「八戸根城(ねじょう)」(青森県八戸市根城)は、南部家が支配した「中世城郭」で、日本100名城に指定されています。

少しだけ写真を紹介しておきます。

 

「根城」の縄張り

「根城」復元本丸主殿(当主が儀式を行った)

「根城」復元鍛冶工房

「根城」三棟並ぶ復元蔵

「根城」空堀跡

 

次回のブログでは、「久保田城」をお届けします。

 

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