「”緊急事態宣言”で外出自粛中の蔵出し企画」は、第一弾~第四弾をお届けしてきました。昨日から第五弾「”復興天守”を色々な方向から顔・姿を見る」をお届けしています。
「復興天守」とは、天守築城時や修理時に描かれた”絵図”や”屏風絵図”などの形から類推して外観を再築した「天守」です。一方、「外観復元天守」とは、築城時や修築時に”指図”と言われる詳細な”平面図”や”立面図”や”古写真”から外観を想定して築城されたもので、現在ではRC造りが殆どです。 ※RC造り=鉄筋コンクリート造り
第一弾「”現存12城の天守”を色々な方向から顔・姿を見る」
第二弾「太平洋戦争まで現存していた天守で”外観復元で再建された天守”」を色々な方向から顔・姿を見る」
※戦後も生き延びましたがその後の失火で焼失した「松前城天守(御三階櫓)」を含む
第三弾「”木造復元で再建された天守”を色々な方向から顔・姿を見る」
第四弾「”RC造りの外観復元で再建された天守”を色々な方向から顔・姿を見る」
本日は、昨年の3月に平成最後の築城と言われた「尼崎城」(兵庫県尼崎市)をお届けします。
当城は、尼崎出身で旧ミドリ電気(現在のエディオン)の創始者「安保詮」さんが私財を投じて再建し、尼崎市に寄贈されました。
「天守」は、現在の”明城小学校”の位置にありましたが、再築されたのは”西三の丸”跡です。また、天守の古写真や江戸時代の絵図が残っていますが、詳細部分で異なるので「復興天守」の分類になります。
<尼崎城天守(復興)> 兵庫県尼崎市
・四層四階 複合式、層塔型、白漆喰層塗込め、RC造り ※天守の南側と東側に「付櫓」
・戸田家、青山家、桜井松平家など 4万5千石(最終石高)
南側から(前に南付櫓、右に東付櫓)
北側から
北西隅
西側から(右に、南付櫓)
南東側から(手前に、南付櫓)
東側から(手前は、東付櫓)
北東隅(左は東付櫓)
天守と付櫓の絵図(天守内に掲出)
次回は、「島原城」をお届けする予定です。
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