本日のブログは、JR「奈良駅」から「万葉まほろば線」に乗って「柳本陣屋」(奈良県天理市)に向かいます。

 

「柳本藩邸図」

 

「万葉まほろば線」は、旧「桜井線」で、私はかつてのディーゼル列車のイメージが強かったのですが、今は電化されしかも車両も227系の最新鋭のものが2両で運行しています。

 

 「万葉まほろば線」227系車両

 

「まほろば」とはなんぞい?とネットで調べましたら、古語で「素晴らしい場所」「住みやすい場所」ということで、古代の都があった奈良由縁の名前のようです。

 

単線で22分の乗車で無人の「柳本駅」に着きました。駅舎内には、「旧織田屋形」の鬼瓦複製が展示してあり、現物は「橿原神宮文華殿」(奈良県橿原市)にあるとの説明書きがありました。

 

JR柳本駅舎内に展示の「旧織田屋形」の鬼瓦複製

 

少し説明しておきますと、「旧織田屋形」とは、「柳本陣屋御殿(藩邸)」のことで、この陣屋御殿は現在、「橿原神宮」内の「文華殿」として移築されています。私は以前2度ほど、その移築御殿の写真を撮りに行ったことがありますが、立派な車寄せと玄関を持つ城郭建造物ですので、ここに写真を掲載しておきます。

 

「柳本陣屋御殿(藩邸)」(現在 「橿原神宮文華殿」として再利用)

「柳本陣屋御殿(藩邸)」(現在 「橿原神宮文華殿」として再利用)

「柳本陣屋御殿(藩邸)」(現在 「橿原神宮文華殿」として再利用)

 

さて、駅前から真っすぐ東に向かって延びる「大手筋」を進むと、数分で左手に前方後円墳の「黒塚古墳」が形もよく横たわり、堀が豊富に水を湛えています。

 

陣屋内に取り込まれた前方後円墳の「黒塚古墳」

 

また右手には、白と黒の凄い立派な壁が続く旧家や長屋門のあるお宅が並び、「西門」跡を抜けると右手に「柳本小学校」が建ちます。そこが「柳本陣屋」跡となります。

 

立派な壁が続く旧家

「西門」跡付近

 

その壁には、「柳本陣屋」についての詳細な説明版が掲出されていて、「藩主(城主)」や「藩邸絵図」「陣屋の範囲」「発掘時の写真」など興味がある内容です。

 

「柳本藩邸」説明書

「柳本藩邸」説明書内より現在の陣屋跡範囲

 

まず「柳本陣屋」の成り立ちと藩主(城主)ですが、「織田信長」の弟「織田長益(有楽斎)」が、関ヶ原の戦いでは、東軍に属して手柄を立てたので、この柳本周辺を含めた大和国を中心に3万石を得ます。

 

しかし「長益(有楽斎)」は、四男「長政」や五男「尚長(ひさなが)」の息子たちに各1万石を分与して自分は1万石を隠居料として領するだけとなり、その後の豊臣対徳川の対立が進むにつれて「淀君」と「家康」との中を取り持つ動きを行う為に、領地の殆どが大和国にありましたが、大坂城近くの「味舌(ました)陣屋」を居住地にしたというお話を、先日(2/12)のブログで述べました。

 

味舌陣屋  https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12574730670.html

 

「長益(有楽斎)」から分与されて1万石で立藩した「尚長(ひさなが)」が築城した「柳本陣屋」は、幕末まで続きます。

 

陣屋については、「柳本藩邸図」が残っていますので当時の状況が良く解ります。前述した「黒塚古墳」を北部に取り込み、古墳の周囲の堀を、内堀と外堀として利用しています。

 

「柳本藩邸」説明書内よ 「柳本藩邸図」

 

陣屋の形は単郭でほぼスクエアな形をしていて、周囲にはそんなに広くない堀で取り巻かれていました。門は、大手筋の西側に「西門」、そして「北門」「南門」を設けていて、南西隅には菩提寺である「専行院」を設けていました。

 

城郭の遺構は、古墳周囲の「堀」、「堀」の東岸沿いの石垣、「西門」跡周辺の石垣くらいしか見られません。

 

「御殿」跡に建つ「柳本小学校」(北側)

「御殿」跡に建つ「柳本小学校」(北側)

「御殿」跡に建つ「柳本小学校」(南東隅)

藩邸内に取り込まれた「黒塚古墳」と堀替わりの古墳北堀

 

藩邸内に取り込まれた「黒塚古墳」と堀替わりの古墳南堀

1823年に農民によって立てられた石碑(安全と豊穣を祈願したもの)

黒塚古墳の墳丘から「御殿」跡(現「柳本小学校」)をのぞむ

黒塚古墳の墳丘から城下をのぞむ

南堀の東側沿いに残る石垣

 

また、「陣屋」北西の酒業等を営む町屋が数軒集積するエリアには、「長屋門」型式で「陣屋門」だとの伝承がある城郭建造物が残りますが、かなり朽ち果てていて早急の補修が必要ではないかと思いました。

 

 酒業等を営む町屋

町家の集積地

伝「陣屋門」(民家に移築)

伝「陣屋門」(民家に移築)

 

菩提寺の「専行院」は、陣屋南西隅に辺りその南側は水路が流れていましたが、「堀」の名残ではないかと思います。「専行院」の山門を潜り、右手奥にはお墓が並んでいて「織田長益(有楽斎)」や初代藩主「尚長」のお墓が立つと説明にはありますが、どれかが解りませんでした。

「専行院」(右手)と堀跡?の水路か

 

「専行院」内の織田家の墓

「専行院」内の織田家の墓

 

「柳本陣屋」の東側少し山の手には、「山の辺(やまのべ)の道」が南北に走ります。そして道沿いには、「崇神天皇陵」「景行天皇陵」の有名な天皇陵やその周囲には沢山の小型の古墳が並びます。

 

柳本ウオーキングマップ

「崇神天皇陵」

 

少し小高い所ですので、そこから西側に向かっての眺めは、生駒山系が連なり奈良盆地を見下ろせる絶好のポイントでした

 

遠くには生駒山系と奈良盆地

 

JR「柳本駅」まで戻り、次は「芝村陣屋」へ向かいます。次回のブログで紹介をしたいと思います。

 

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