本日のブログは古代山城の「鬼ノ城(きのき)」(岡山県総社市奥坂)です。

 

模擬で再現された「西門」

 

「備中松山城」城下の高梁市街をスタートして一般道を走ること約40分、「鬼ノ城(きのき)」の資料館がある「鬼ノ城ビジターセンター」に15時5分に到着しました。

 

当初予定では16時に到着する予定でしたから、少し時間的な余裕ができ、しかも明るいうちに周回できるのではないかと安堵しました。

 「鬼ノ城ビジターセンター」内の展示物や資料をザクっと見て、リュックを軽くして出発です。

 

上空から見た「鬼ノ城」の全景( 「鬼ノ城ビジターセンター」内の展示物より)

 

「鬼ノ城」は、「鬼城山(きのじょうざん)」の標高400m~600mの吉備高原南縁に位置していることから、総社平野や瀬戸内海、四国の山並みまで見通せる絶景地とのことです。

 

「西門」辺りからのぞむ総社平野

 

昔話の「ももたろう」のもととなった吉備地方の温羅(鬼)退治のお話しである「温羅(うら)伝説」の舞台でも有名です。昨年11月末に、NHK「ブラタモリ」でも「岡山~ ”岡山といえば桃太郎”なのはなぜ?~」と紹介されていて、テレビをご覧になった方も多いと思います。

 

「屋嶋城」で記載したような、「日本書紀」の中で、天智天皇の命による「唐・新羅連合軍」からの守りを堅固にする目的の古代山城には入っていませんが、その役割も担っていたとすれば、好位置での築城となります。こちらは、「神護石(こうごいし)式古代山城」という呼び方がされていて、7世紀後半に築かれたようです。

 

特徴は、山の中腹から山上にかけて、列石(並べた切石)の上に版築工法によって土塁を築き、約2.8kmの城壁が鉢巻状に取巻いていて地形に応じて城内外に「折れ」が見られます。また、水抜きをする為の「水門」や数段の石積みを伴う「城門」や横方向からの攻撃に備えた「角楼」という防御施設も築かれました。

 

見学路案内図( 「鬼ノ城ビジターセンター」内の展示物)

 

「鬼ノ城ビジターセンター」から「西門」まで直線で10分ですが、「学習広場」から写真を写すために遠回りをしました。そこからの眺めは、良くパンフレット等の写真に使用されているアングルです。

 

学習センターからのぞむ模擬で再現された「西門」

 

「城門」は、東西南北の4箇所ありますが、「ビジターセンター」に最も近い「西門」と「南門」が同サイズで、「東門」と「北門」は少し小型サイズのようです。

 

「西門」は、掘っ立て柱の城門で、通路床面に石を敷いて、床面と前面とは2mの段差を設けた「懸門」建築物も含めて復元されています。

 

模擬で再現された「西門」(懸門形式)

模擬で再現された「西門」「懸門」形式、城外側から見上げる)

 

その両脇には、一段一列に並べた列石の上に土を少しずつ入れてつき固めた「版築土塁」と「石垣(石塁)」で築かれた「城壁」 が再現されています。

「西門」脇は版築土塁と石垣(石塁)で固められる(城内側)

 

「西門」脇は版築土塁と石垣(石塁)で固められる(城外側)

版築土塁

 

私は、「西門」を中心にしたメインの「城壁」から、「高石垣」「水門」「城門」の位置が記載されたマップの「散策コース」に基づいて右手に方向を取り進みました。

 

全体マップ

 

まず最初に「第0水門」を見て、左の山肌に並ぶ「神護式状列石」を見ながら進みますと石積みされた所に「第1水門」と「第2水門」がありました。

「第0水門」跡

 山肌に並ぶ「神護式状列石」

「第1水門」跡

「第2水門」跡から延びる土塁

「第2水門」跡

 

そこから進むと眺めのいい場所に出ますが崖下は高石垣になっているようで、そこを過ぎると「南門」跡に出ます。「南門」は、「西門」とほぼサイズが同じで、間口12.3m・奥行8.2mというサイズですが、こちらは建築物の再現はされていません。やはり建造物が建っていないとその大きさが実感できませんでした。

 

高石垣からの遠望

高石垣   

 「南門」跡(支柱だけ再現)

 「南門」跡(支柱だけ再現)

 

「南門」跡から少し進んだ所に、また高石垣の箇所があります。高石垣の写真を撮ろうと崖にそろりそろりと近づき、横から何とか撮りましたが、柵もなく少々怖い所です。

 

「南門」跡の東側の高石垣

 

次回ブログでは、引続き「鬼ノ城」の後編に続きます。

 

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