丸亀城」(香川県丸亀市)前編からの続きです。

 

前編 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12569701826.html

 

三の丸北側の高石垣(「扇の勾配」、丸亀城で最も高い20m以上の石垣)

 

「山下御殿」が建っていた「山下曲輪」跡と「丸亀市立資料館」の建物の間の道が「内堀」を渡る手前にも門跡がありましたが、名称はわかりませんでした。そこから見る両脇の「内堀」も広い幅を維持していて、城内側も城外側ともに「腰巻石垣」を採用していました。

 

山下御殿跡

山下御殿周囲の堀(腰巻石垣を採用)

山下御殿跡から見上げる天守と本丸姫櫓台

 

少し足を進めた左手には、火山の噴出口への通路部に安山岩が浸食を受けて円柱状に露呈した「かぶと岩」の岩頸が見られますが、これは、「京極家御殿」であった「山下御殿」に併設していた庭園であった名残のようです。

 

かぶと岩(京極家御殿の庭園の名残り)

 

本来は、そこから城山の麓沿いを遊歩道が取巻いているのですが、2018年10月の台風24号の影響による石垣の崩落で改修工事が行われている為に、その麓から「城内グランド」にかけて、崩落した石に番号を振って再積み直しを待っている石置き場となっています。

 

崩落している三の丸坤櫓付近

崩落した帯曲輪の石垣

積み直しを待つ石の保管場所

 

高石垣の崩壊は、丁度「三の丸坤櫓」台からその上部の南西部分のようで、懸命な復旧工事が進められていますが、積み直しにはまだまだ時間がかかりそうな状況です。

 

自然の災害の恐ろしさを間近で体験できました。現代でもこのような惨事への対応が並大抵のものではないのに、当時このような災害時には、想像を絶する大工事がなされていたんだろうなーとつくづく想いました。

 

「城内グランド」を廻りこんだ所には「搦手門」跡の石垣が残されています。この前の橋の両端も「内堀」が繋がっています。

 

搦手門跡碑

搦手門跡

搦手門跡付近の堀

 

「搦手口」の北側からは、「天守」まで上がることができる石段がありますが、そこを少し上った所には、旧大手門がありました。「大手門」が、現在の北側に移されてからは「栃の木門」と呼ばれ、現在では立派な石垣と櫓台が残ります。

 

栃の木門跡

 

そして、城山の南東辺りの山沿いには生駒家時代の「野面積み」石垣が拡がり、その上には「三の丸月見櫓」台跡が見えます。

 

野面積み石垣が拡がる

三の丸月見櫓台を麓から見上げる

 

さて、城山を1周してきましたので、前夜真っ暗な中、息を切らして登った「見返り坂」を上り、「天守」がある「本丸」跡を目指しました。

 

「見返り坂」を上り切った右側には、昨夜、ライトアップされていた三の丸北側の「扇の勾配(又は武者返し)」と呼ばれる「高石垣」が迫ってきます。こちらは、丸亀城の中で最も高く約20mの城壁が続いています。

 

見返り坂

見返り坂を上りきった右側には高石垣(扇の勾配)

打込接布積みの石垣が拡がる

 

更に、右に曲がるとまだまだ坂道が続き、上り切った所が「三の丸」跡になります。

 

見返り坂から更に三の丸跡への坂道

 

 

左手には、「月見櫓」台跡と「丑寅櫓」台跡があって周囲に柵が施されているので、非常に高くて危険だということだと思いますが、「丑寅櫓」台からの瀬戸内の素晴らしい遠景や、「月見櫓」台からの「讃岐富士」の美しさを堪能することができました。

 

三の丸丑寅櫓台

三の丸月見櫓台

三の丸月見櫓台からのぞむ讃岐富士(飯野山)

 

「三の丸」跡を西側に歩くと、正面に「延寿閣別館」という建物が建っています。この建造物は、江戸麻布にあった旧藩主「京極家」の江戸藩邸の一部を1933年に、丸亀城内に移築したものです。中は、当時の大名生活が偲ばれる構造になっているそうです。

 

延寿閣別館旧藩主「京極家」の江戸藩邸の一部)

延寿閣別館旧藩主「京極家」の江戸藩邸の一部)

 

「延寿閣別館」の北側沿いには、「二の丸」跡の石垣が壁のように立っていますが、良く見ると、「二の丸辰巳櫓」台から続く「二の丸石垣」が少し内側に湾曲しています。この手法を「平ノスキ」といい、当石垣が高石垣となっていることから、崩落回避の為に石垣の表面ラインを内側に湾曲させ、左右を出張らせて内側に圧力を集中させるという仕掛けになっているそうです。

 

少し内側に湾曲させている「平ノスキ」という手法(写真ではわかりにくい)

 

その石垣に沿って西側に行けば、「坤櫓」跡、「三の丸井戸」があるのでしょうが、前述したように高石垣の崩落に伴う修築工事の為立入禁止となっていました。ただ、手前には、「搦手門口」に通じる門跡、そして石段、元大手門だった「栃の木門」跡が見られます。

 

栃の木門跡付近

栃の木門跡

 

「三の丸」跡をもう一度「丑寅櫓」跡近く迄もどり、「二の丸」跡へ通じる階段前へ至ります。

 

三の丸跡から見上げる天守

 

ここには、「二の丸虎口」がまずは下段と中段の2回口を開けていています。そして更に、三つ目の虎口もあってそこは雁木が二方向に積まれているので、二つの埋門を抜けてきた敵を一気に分散させる仕掛けが採られています。

 

二の丸虎口跡(クランク状に曲がる)

二の丸虎口

二の丸虎口(二の丸入口から見下ろす)

二の丸虎口の三つ目の虎口は雁木(敵を一気に分散させる効果)

 

「二の丸」跡は広場になっていますが、面積的にはかなりの大きさだと思います。この北東隅には「番頭櫓」跡があり、その手前には深さ65.4mの「二の丸井戸」が井戸屋形の中にあり日本一深い井戸になっています。

 

二の丸跡

二の丸井戸

二の丸番頭櫓台

 

この井戸には伝説があって、工事当時、石垣積みの貢献者である「羽坂重三郎」という者を、殿様が敵に通じないようにする為に、彼にこの井戸の底を探らせている間に上から石を投じて殺してしまったというお話です。怖いですね~

 

「二の丸」跡は「本丸」跡からは一段低くなっていてほぼ並列に並んでいますが、一部北側は「本丸」跡下に出張っています。その出張った先には「長崎櫓」台があり、その脇の階段を降りた先には「三の丸戌亥櫓」跡があります。

 

「二の丸長崎櫓台」

三の丸戌亥櫓台から二の丸長崎櫓台と天守を見る

三の丸戌亥櫓台

 

「三の丸戌亥櫓」跡を振り返った所に迫るのは「本丸」跡の北東隅に建つ立派な「姫櫓」台です。

 

本丸姫櫓台(三の丸戌亥櫓台から)

 

下りてきた石段をもう一度「二の丸」跡に向かって上がりますが、右手は「天守」北面の真下になり、更に斜め前には「本丸大手門」を睨む櫓(櫓名不明)の櫓台が見えます。そこからいよいよ本丸跡へ向かいます

 

本丸大手門を睨む櫓台

 

次回ブログは、「本丸」跡からご紹介いたします。

 

 

 

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