昨日のブログからは、薩摩藩の居城「鹿児島城(鶴丸城)」の「外城(とじょう)」であった「麓(ふもと)」を採り上げています。

 

昨日、「麓とは何ぞや」を簡単に説明しましたが、1615年に江戸幕府が発令した「一国一城の令」以降も、「薩摩藩」内にあった戦国時代の「支城」を「麓」という名称で残し、「領主仮屋」等という役所的な施設を中心に.、周囲に武士達を住まわせ普段は農業等をさせていた.仕組みです。

 

昨日はその代表的な「麓」である「知覧麓」を紹介しました。

 

本日は、「加治木(かじき)麓」(姶良市-あいらし-加治木町)を訪問したいと思います。

 

加治木麓の石垣(護国神社入口の脇)

 

鎌倉時代には、「加治木家」がこの地に入りましたが、その後のいろいろな経緯の中で「島津家」に攻め入られます。しかしながら、「豊臣秀吉」の九州平定があって、「島津家」から取り上げられます。

 

関ケ原の戦いで逃げ帰った「島津義弘」は「帖佐(ちょうさ)」に居住していましたが、1607年に「加治木城」の麓に居を構え、1619年に逝去するまでこちらを住まいとします。

 

その御殿は、現在の「加治木高校」や「柁城小学校」等の敷地になっている所に建てられていたそうで、「義弘」逝去後も代々が居城していたそうです。「義弘」の子で初代の薩摩藩主となった「家久」は、その敷地に別邸を建ててそこに起居し「中納言様御殿」という名称で近年まで存在していたと、説明板に記載されていました。

 

島津義弘 治所跡図面

 

現在、「仮屋馬場沿い」には、「加治木麓」の古城「正門」があった敷地は「護国神社」となり両脇には石垣が残ります。また「奥御殿」「御殿」「対面所」などの主要施設が並んでいた所は「柁城小学校」ですが、校門は城郭風にアレンジされていますし、校内には井戸跡も残っています。また、周囲を取り囲む塀は、「丸に十の字」の瓦を乗せた城壁風の壁が建てられています。

 

加治木麓の古城正門跡(現 護国神社入口)

正門付近の石垣(右は護国神社)

加治木麓 幕末期の建造物配置図

柁城小学校の校門

柁城小学校 校内に残る御殿施設の井戸跡

柁城小学校の城壁風壁

正門からの道で「黒門」跡付近

柁城小学校の仮屋馬場沿いの石垣

 

「加治木高校」の「仮屋馬場沿い」には、「切込接布積」の石垣が美しく積まれて道に沿って壁状になっています。

 

加治木高校の仮屋馬場沿い石垣

加治木高校校門脇の石垣

 

城下(麓下)は、他にも見どころがあるようで、例えば「曽木家」の茅葺門ですが、こちらは「島津義弘」から「曾木家」に拝領された後、江戸時代に武家門として補修して現在まで存在している門です。

 

曾木家の茅葺門

 

この門は、「薩摩藩」特有の「前」と「後」の腕木で門の桁を支える「腕木門」と言われる形式が、採り入れられているとのことです。

 

曾木家茅葺門の腕木門

 

下記バナーのクリックをお願いいたします


お城巡りランキング


お城巡りランキング