昨日、ウオーキング途中に体調不良となり、市民会館まで辿り着いて職員の方にタクシーを呼んでもらい、自宅近くの病院へ直行しました。

問診後、心電図、レントゲン等を受けましたが特に問題なく、胃が非常にもたれていたので胃薬を貰い、自宅に帰り夕食も食べずに20時過ぎに寝たところ、本日朝にはだいぶ良くなっていました。

 

最近の油物の暴食(私は下戸ですので暴飲ではないです)と、PCの前で座ることが多くて運動不足だったからでしょうか、突然の体調不良の原因は不明のままでしたが・・・、少々不安を抱えながらですが、お城巡りをしたいという気持ちが強くなりました。

 

ということで、本日の予定していた心斎橋での用事を終えると、頗る元気になりましたので、当初予定通りに「日本100名城」である「千早城」(大阪府南河内郡千早赤阪村)に向かうことを決行しました。

 

「難波」から「河内長野」まで南海電車に乗り、バスに乗り換えて「金剛山登山口」バス停で下車しました。ここで多くのリュックを背負った登山姿の乗客が下車しましたが、私以外は「金剛山」登山道の方へ向かいまっした。

 

国史跡 千早城跡の郭図

 

「千早城跡」へは、城跡登山口から登っていくのですが、まずは非常に急な直線の階段が目の前を覆いかぶさってきます。

 

登城口(大手口)

大手口から登る直線の急階段

急階段上から見下ろす

 

この直線階段を登りきると、今度はつづら折れの階段が延々と続きます。全部で560段あるそうで、約100段ごとに休憩を取りましたが、心臓音の高まりは尋常ではありません。昨日の心電図では異常はなかったものの、大丈夫かと心配になってきましたが、なんとか約20分で「四の郭」に辿り着き、登りきった所に屋根付きの立派な「千早城跡」の看板と灯籠が見えましたので、嬉しさ倍増でした。

 

つづら折れの階段

四の郭 登りきった所

四の郭

 

「四の郭」は、「千早城」の郭では最も広い面積だそうですが、特に何もない広場となっています。そこにポツンと一つ置いてあるベンチに腰掛け、お茶タイムにしました。

 

四の郭

 

さて、今度は「四の郭」と「三の郭」を結ぶ鞍状の通路になっています。ここには、当時は「堀切」が何本かあったらしいですが、「千早神社」を造るに当たって埋められたようです。

 

四の郭と三の郭の間の鞍状通路

鞍状通路から三の郭へ上る階段

 

この鞍部分から階段を上がった狭いスペースが「三の郭」です。「史跡 千早城跡」碑が立っていますが、神社の社務所が面積をとっていますので非常に狭い郭に感じます。

 

三の郭内に建てられた社務所

三の郭内の「史跡 千早城跡」碑

 

そこから更に階段を上がると、真正面の段上には「千早神社」の社殿が見えます。

 

二の郭 一段高い位置に「千早神社」社殿

二の郭に立つ「千早神社」社殿

 

一段下の敷地と、少し階段を上がった「千早神社の社殿」がある敷地をひっくるめて「二の郭」と書いているモノ(本)がありますが、ここでは「本丸」と小さな木片に書かれた標識が立っていました。

 

灯籠の下に、矢印で「千早城本丸跡」と記載の木片

 

「千早神社」は、「楠木正成(「まさしげ)」とその父親の「正行(まさつら)」を合祀した「社殿」が1874年に建てられ、1879年には「祠」を建てて神社としたそうです。

 

前述の「本」では、「主郭」が「千早神社」の後方の山中に拡がっていて、東の最高所に10m四方で盛り上がった所がありそれが櫓台だったのではと書かれていましたので探しましたが、木々の中ですので良く解りませんでしたが、これと違うかな?と思うものを写真に撮りました。

 

社殿の奥の「主郭」

社殿の奥の「主郭」

社殿の奥の「主郭」内の東側に盛り上がる「櫓台」かな?

 

お城というものの、戦国時代以前の中世のお城ですので、「石垣」は勿論「土塁」や、仕掛けとなるような「堀切」「切岸」などを見かけることもなく下山しました。

 

「日本100名城」に選ばれた理由は、このお城で戦われた状況が凄くて、20万人の鎌倉幕府軍が攻め上がってきたが、このお城に籠城して防衛していた1000人の「楠木正成」軍が100日間も持ちこたえたということから、注目されているお城ということだと思います。

 

「豊臣秀吉」による水攻めで有名になった「備中高松城」と同様、戦争の仕方にスポットが当たって「名城」に選定されているのかもしれませんね。

 

「千早城」の見学にもう少し時間を取っていましたが、意外と早く見て下山できたので、南海高野線の「大阪狭山市」駅からすぐ近くにある「狭山陣屋」に立ち寄りました。こちらは、次回「ブログ」でご紹介します。

 

また、沖縄の「世界遺産」の「グスク」の方も、「勝連城」と「中城城」が残っていますので、「狭山陣屋」の次に御紹介していきます。

 

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