「譜代大名のお城シリーズ」は、「美作(みまさか)勝山城」(岡山県真庭市)を紹介します。
「勝山城」の名前があるお城は、幕末・維新まで続いた藩では、「越前勝山城」(福井県勝山市)、「安房勝山城」(千葉県安房郡鋸南町)、「美作勝山城」の3箇所ありました。
「美作勝山城」は、この地の地頭であった「三浦家」が築き、落城や奪回を繰り返した「美作高田城」の跡に、1764年に譜代大名の「三浦家」(戦国時代以前の三浦家とは別系統)によって新規築城されたお城です。
その「美作高田城」とは、「如意山」に「本丸」を置く山城で、その南側の山の中腹には「二の丸」を、更にその南東にある「勝山」を「出丸」としたお城でした。
椎の木御殿(版籍奉還後、当地に御殿を建設して三浦氏三代が居住)
高田城(奥の如意山に本丸跡、手前の勝山に出丸跡)
戦国時代には、この地に本拠を置く「三浦家」は、「尼子家」「三村家」「毛利家」の各勢力との当城を巡る攻防を繰り返しましたが、「豊臣秀吉」による「高松城水攻め」の戦後処理として「宇喜多秀家」が美作国の領主となり、その家臣が入城します。その後も、「小早川秀秋」や津山城の支城として「森家」が城番をして管理しましたが、1615年に一国一城の令で廃城となり天領となります。
新生「美作勝山城」は、「美作高田城」を取り込んだ形で、その西側に「三の丸」を配備し、政庁としての「居館」を中心に、「武器庫」や「米蔵」を配備しました。
三の丸跡(勝山藩庁)内にある速日神社(妙見宮)
現在の「三の丸」跡には、主に15世紀の三浦家~17世紀初頭の城番「森家」の遺構ということで、礎石や石組み、井戸などに解説などを施しながら、見学ができるようになっています。また、市役所の西南辺りには、「大手門」があったそうでその碑が立ちます。
三の丸遺跡 (15世紀の三浦家~17世紀初頭の城番森家の遺構)
三の丸遺跡 (石敷と溝の遺構)
三の丸遺跡 (石敷の遺構).
三の丸遺跡 (溝の遺構)
三の丸遺跡 (井戸の遺構)
近世大手門付近(現 真庭市役所勝山支所)
「高田城」の「二の丸」跡には、グランドがありますが、その場所に「二重櫓」を建てたとのことです。また、「出丸」跡には「太鼓櫓」が建てられ、城下に時を告げていたそうです。
二の丸跡方向
「城下町」は、西側に流れる「旭川」と「出丸」があった「勝山」が迫る細長いエリアから「勝山」の南側のエリアにかけて拡がります。現在は「岡山県の街並み保存地区」に指定されていて、海鼠壁や格子がある商家が建ち並んでいて当時の雰囲気を感じることができます。
城下町勝山の絵地図
勝山 岡山県の町並み保存地区
勝山 岡山県の町並み保存地区 (海鼠壁と格子窓)
岡山県の町並み保存地区 (きくや菓子本舗)
勝山 岡山県の町並み保存地区 (郷宿-ごうやど、三浦藩の村役人の定宿)
勝山 岡山県の町並み、御前酒蔵元の蔵-なまこ壁とコテ絵が付く窓
また、旭川沿いには、往時に瀬戸内海から上り下りした「高瀬舟」の船着場の石段を見ることができます。
旭川の高瀬舟発着跡
商家が並ぶ「保存地区」の東側への坂をのぼったエリアは武家屋敷が建ち並んでいた所で、長屋門や柴垣で囲った侍屋敷跡を確認することができます。「三浦家」の菩提寺である「安養寺」には正門と土塀で囲われた「三浦家墓所」を見ることができます。
三浦坂
渡辺屋敷(武家屋敷-上級武士屋敷)
侍屋敷跡(木の生垣で囲われる)
安養寺山門(藩主三浦家菩提寺)
安養寺藩主三浦家墓所正門
私が最も興味があったのは、「本丸」があった「如意山」の裏手奥に「美作勝山城」の遺構や元藩主の関連建造物である「椎ノ木御殿」です。こちらへの距離が城下町から結構あることから、行き帰りのバスの時間を調べて参りました。
「椎の木御殿」(岡山県真庭市岡)は、版籍奉還後に当地で御殿を建設して「三浦家」三代が居住した建造物で、「正門」は「美作勝山城」の城門を移築、また御殿の玄関はお城の「御殿玄関」を移築したもののようです。
椎ノ木御殿正門(元 勝山城門を移築)
椎ノ木御殿(三浦家住居玄関、勝山城御殿の玄関を移築)
御殿内部は、数寄屋風の書院や部屋があり、版籍奉還後の旧お殿様が生活した一端の様子を窺える建建物で綺麗に管理されてえいました。この場所は、現在は市民の交流の場として貸し出しをしているようです。
椎ノ木御殿(三浦家住居、玄関正面)
椎ノ木御殿(三浦家住居、二階の書院)
椎ノ木御殿(三浦家住居、二階の間)
椎ノ木御殿(三浦家住居、三浦家家紋三つ引き両が付く衣装箱)
「椎の木御殿」に行きたいことを先行しましたので、「美作高田城」の「本丸」跡に行く時間がありませんでしたのが心残りでした。
どうぞ下記バナーのクリックをよろしくお願いいたします。




























