岡崎城」(愛知県岡崎市)の「前編」からの続きです。

 

「本丸」の守備は固く、「天守」に繋がる「井戸櫓」の西側には、「多門櫓」が続き「本丸御門と入口多門」「辰巳櫓」「本丸二階門」「平櫓」「月見櫓」「埋門」等の建造物と土塀で囲われていました。

 

持仏堂曲輪から見た復興井戸櫓

本丸月見櫓跡

本丸埋門跡 (本丸4つの虎口の一つ、本丸側より)

本丸埋門跡(坂谷曲輪から)

 

現在は、前述の「天守」群の他には、「辰巳櫓」跡に「巽閣」が建ち、その脇にはトイレ等を城郭建造物とした建物が続きます。更に「龍城(たつき)神社」が大きな敷地を占めます。

 

辰巳櫓跡に建つ巽閣(有料施設)

 

「本丸」の南側を取り巻く一段下の細長い敷地は「風呂谷(ふろたに)曲輪」になり、枡形となっている「本丸埋門」や「本丸二階門」から降りるようになっています。

 

帯曲輪の風呂谷曲輪(手前)と神橋

 

「風呂谷曲輪」の南側にある「内堀」越しには、東側にある「菅生(すごう)曲輪」と西側にある「白山曲輪」を結ぶ「菅生川」沿いとなり、江戸時代には「船着場」として利用されていました。また、川からの攻撃に備えて、「横矢」を掛けられるように石垣を屈折させて築かれています。

 

菅生川沿いの船着場跡 

菅生川端石垣

菅生川端石垣(横矢掛りがかかる石垣、屏風折れと横矢枡形を導入) 

 

「菅生曲輪」は、「東曲輪」から下段となった所で、現在は広っぱになっていて、復興された「東隅櫓」が遠くに見えます。「白山曲輪」は現在は住宅街となっています。

 

菅生曲輪跡(東曲輪から見下ろす)

菅生曲輪の広場と奥に東曲輪と復興東隅櫓 

 

「本丸」西側の深い空堀越しには、南北に細長い「坂谷曲輪」を設け、「内堀」越えに「丸馬出」が構えていたようです。

現在は「東照公産湯の井戸」や「東照公えな(へそのお)塚」があります。

 

徳川家康の産湯の井戸

 

ブログ「後編①」へ続きます。

 

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