夏恒例の「お城巡り一人旅」は、「加納城」から翌朝に訪問予定の「長篠城」(愛知県新城市)がある「新城」へ向かいます。

 

「新城」碑

 

JR東海道本線「岐阜駅」を16時38分発の新快速で豊橋へ向かいます。豊橋では飯田線18時27分発の乗換まで時間がありましたので、構内の飲食店で「唐揚げ定食」を食べ腹ごしらえをしました。やはり、愛知県に来たからには名古屋コーチンを食せずにはいけませんので。

 

豊橋駅構内で食べた「唐揚げ定食」

 

飯田線は長野県塩尻側で少し乗車したことがありましたが、南側は初めてです。車両はそんなに古くもありませんでした。宿泊は「新城駅」近くのビジネスホテルを取り、翌朝7時47分に「新城駅」から「長篠城駅」へ向かいます。

 

飯田線車両(豊橋駅)

 

朝少し時間があり早めにホテルを出ましたので、計画には全くなかったけれど新城駅近くに城跡があることをパンフで知りましたので、「新城城(しんしろじょう)・陣屋」に寄ってみたくなり急遽立ち寄りました。

 

新城市役所前から駅方面への通りは「大手門通り」、市役所の脇には藩校「有教館」の跡碑が立っていました。

 

大手門通り

藩校「有教館」跡碑

 

市名「新城市」の由来は、「長篠城」の激戦で城を守り切った「奥平信昌」が、戦後に”新しく城”を築いてこの地に居住したことから「新城」と命名されたそうです。

 

「新城城・陣屋」は、現在「新城小学校」の敷地となっていて、表門には城郭建造物のような「楼門」が建ちその脇には「多聞櫓」風の廊下が続きます。この楼門風の建物は、旅帰宅後に調べたところ、昭和10年に建造されたもので、今は無い「講堂」への廊下の一部として使用されていたようです。

 

城・陣屋跡に建つ「新城小学校」校門(模擬楼門)

「新城小学校」校門(模擬楼門)に続く多聞櫓風の廊下

 

その前で写真を撮っていますと、乗用車運転のお爺さんから「城跡碑」は校庭の北側にあることを教えてもらいましたが、校内に入ることを躊躇していると、そのお爺さんもゲートボールで校庭北側に行くので「大丈夫ですよー」とのことで、中に入らせていただきました。

 

新城城の碑

 

校庭北側の丘となっている「土塁」跡には、「城跡碑」と「新城城」の解説板がありました。また、右手には古い御殿のような建物が建ちますが、こちらは「ふるさと資料館」でお城の遺構ではないようでした。

 

新城城・陣屋跡の土塁

新城城・陣屋跡の土塁上に建つ解説板

本丸跡の新城小学校グランド奥には御殿風の「ふるさと資料館」

 

前述のように「奥平信昌」は、「新城城」に居住してから「家康」の長女「亀姫」を正室として迎え入れたとか。その後は一時天領となりましたが、1648年に「菅沼家」が7,000石で入城して「陣屋」を構え、大名ではなくて「旗本」として幕末・維新までこの地を統治しました。

 

「新城駅」を7時47分の列車に乗るべく、急いで駅へ向かう途中に、「亀姫」にゆかりのある「大善寺」に供養塔が建てられていると、前述のお爺さんに聞いていましたが、列車時間がギリギリでしたので、外からの拝観で「新城駅」へ急ぎました。

 

亀姫の供養塔がある「大善寺」

 

なんとかギリギリで停車している列車に乗り込みましたが、汗は止めどもなく流れてきました。列車乗車時間19分の間に身体を冷やし、次の訪問城「長篠城」に備えました。

 

新城駅から長篠城駅まで乗車する飯田線車両

 

「長篠城」は次のブログで紹介します。

 

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