本日は、譜代大名のお城シリーズで「郡上八幡城」(岐阜県郡上市八幡町)を紹介します。

 

模擬天守と模擬西南隅櫓

 

戦国時代の末期、砦であった所に「遠藤盛数」によって「郡上八幡城」が築かれました。その息子「慶隆」は、「羽柴秀吉」によって追放され「稲葉貞通」が城主となります。本丸に三層の天守を建て、山麓に堀を掘り、武器庫や兵糧庫の増築、井戸の掘削、二の丸を増築して居館を建てるなど大改修を行いました。

 

城下を見下ろす

 

その後関ケ原の戦いで、東軍に付いた「遠藤慶隆」が、再び当城に入城して改修を進めました。「遠藤家」は5代続きますが、その後に入封した「井上家」「金森家」が各々2代で転封、そして「青山家」が入った後は7代続いて幕末・維新まで統治します。

 

「郡上八幡城」は、標高352mの八幡山山頂部の要害部分と山腹と山麓の居館部分を持つ「平山城」です。山頂部は、南北に連なる尾根の上に連郭式の曲輪が並びます。

 

山頂部、山腹部、山麓部の模型

 

山頂部の敷地は総石垣で、当初は「本丸」として使用されその東北隅の「天守台」には当初は天守が建っていましたが、「青山家」の時に、「本丸」の政治・行政機能を「二の丸」に移し、旧「本丸」は「松の丸」「桜の丸」と呼ばれるようになります。

 

しかし、戦国時代に建っていた「天守」は、江戸時代には再建されずに「天守台」だけが残りました。また、「野面積み」の総石垣で取り囲まれた旧「本丸」の下段には細い「帯曲輪」が取巻いていました。

 

登城道から帯曲輪と模擬西南隅櫓

野面積みの石垣

 

旧「二の丸」に移った新「本丸」には「御殿」が建ち、城内では唯一の重層櫓である「櫓門」が「大手二の門」として置かれ、当城のシンボル的な城郭建造物でした。

 

更にその下段には藩主の「御下屋敷」や藩士たちの「武家屋敷」や「商屋」が建ち並んでいました。

 

現在の旧「本丸」には、四層四階の木造天守が1933年(昭和8年)に「模擬天守」として再建されました。外観は、当時現存していた国宝「大垣城」の天守外観をモデルにしたもので、木造の「模擬天守」としては日本最古の天守として郡上市の有形文化財に指定されています。

 

四層四階の模擬天守(大垣城の外観をモデルに)

木造天守の内部

模擬天守から桜の丸を見下ろす(模擬大手門と模擬西南隅櫓)

 

旧「本丸」(松の丸と桜の丸)の出入口には、「模擬大手門」の櫓門と「模擬南西隅櫓」が再建され、それを結ぶ土塀が美しさを増します。

 

また、「松の丸」の下段には、もう一つの二層二階の「模擬隅櫓」が建ち、「力石」と呼ばれる「石」が置かれています。これは、「遠藤家」がお城を修理した際に、ある人夫が、河原から350㎏もの重さのある石を旧「本丸」まで背負い運び上げたと同時に倒れて息絶えたとの伝説がある巨石です。

 

模擬大手門と模擬西南隅櫓

模擬大手門の櫓門

模擬隅櫓

力石

 

旧「本丸」と旧「二の丸」の間には登山道で繋がれています。現在「城山公園」となっている新「本丸」跡には、「山内一豊と妻(千代)の像」が立ちますが、妻「千代」が「遠藤盛数」の娘という関係でその銅像が立っています。

 

また、冬は暖かく夏は冷たい「土霊水」と呼ばれる井戸が掘られています。

 

山内一豊と妻(千代)の像

土霊水

 

藩主の隠居御殿とした「御下屋敷」跡は、現在住宅地になっている他に、「職人町」と呼ばれる古い街並みが延びていたり、豊富な地下湧水が流れる用水路が巡っています。特に、「宗祇水(そうぎすい)」は、「郡上八幡」の代表的な名水で、現在でも生活用水として利用されています。

 

御下屋敷跡

職人町

やなかこまち

宗祇水

 

「郡上八幡」の夏は、三十数夜続く「郡上おどり」で賑わいます。これは、江戸時代に士農工商間の融和の為に、時の藩主が導入した盆踊りとのことで、お城巡りの際には、是非ともこれに参加されることをお勧めします。

 

 

 

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#石垣#野面積み