引続き、旧「関八州」内に譜代大名が構えたお城(陣屋)を訪問します。

 

「徳川吉宗」が将軍となって江戸に入った時に、彼の懐刀で「享保の改革」を「吉宗」とともに推進した「加納久通」の子孫である「加納久儔(ひさとし)」が、江戸時代後期である1826年に、戦国時代の「一宮城」跡に「一宮陣屋」(千葉県長生郡一宮町)を設けました。

 

戦国時代の「一宮城」は、「里見家」と「北条家」の境に位置していたことから、絶えず戦火の中にありましたが、「秀吉」の小田原攻めの際に、「本多忠勝」によって落城しました。その後は、「大多喜城」の配下を経て、「加納家」が伊勢国「八田藩」の飛地として治めました。

 

「一宮陣屋」は、「一宮城」時代の「土塁」や「堀」を活用した所もありますが、石垣は殆どみられません。また、「陣屋」の建造物としては、「居館」「役所」「家臣邸宅」「土蔵」「修練場」などが置かれていたようです。

 

現在「陣屋」跡は、「一宮小学校」の敷地、柔剣道場「振武館」、「城山公園」、「一宮玉前(タマサキ)神社」などになっています。

 

「城山公園」の入口には、模擬「大手門」が再築されたり、「振武館」も城郭建築風に建てられています。その前には、藩主「加納久宜」の遺徳を後世に伝えた「加納公紀徳の碑」 が立ち、町指定文化財に指定されています。

 

模擬大手門(城山公園入口) 

陣屋跡地(城山公園)、坂道の下に模擬大手門

一宮陣屋跡中心部の柔剣道場「振武館」 

加納公紀徳の碑

一宮陣屋跡(現 一宮小学校)

 

「一宮玉前(タマサキ)神社」は、社殿権現造りで建てられた立派な拝殿と本殿があり、重文文化財に指定されています。

 

一宮玉前(タマサキ)神社の社殿権現造(重文)

玉前神社の社務所

 

訪問した当日は大雨に見舞われ、地図とカメラを持ち傘を差しながらの写真撮影でしたので写真は巧く撮れず、また撮影した写真には雨筋がハッキリと写っています。

 

もう少しゆっくりと巡り、一宮藩が築いた「砲台跡」や「加納久宜(ひさよし)」のお墓なども見たかったのですが、雨には勝てず残念ながら断念してしまいました。

 

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