本日も、旧関八州内に譜代大名が構えたお城(陣屋)を訪問します。1827年に安房国北条から移封で上総国市原周辺を統治することになった「水野忠韶(ただてる)」が、「鶴牧城(陣屋)」を築きます。
城跡碑(姉崎小学校校門内の蘇鉄前) 現在は石碑も立つ
「水野家」は元々が「徳川家康」の遠縁ということで、石高が少ないものの幕府の中では重要なポストを占めていました。「忠韶(ただてる)」は、「大番頭」「奏者番」「若年寄」を幕閣の一員として歴任しましたので、家格は「城主格」となりました。
しかしながら「鶴牧城(陣屋)」は、大きな櫓門や櫓を建てたり、堀を施すなどを行わず、「御殿」造りの「陣屋」であったようです。
現在は、「陣屋」跡の敷地は、「姉崎小学校」となっています。「陣屋」跡の敷地に学校、特に小学校の敷地となることが多く、丁度良い広さなのかもしれません。
陣屋跡(姉崎小学校)
「姉崎小学校」門の内側には、ソテツが植わっていてその根元の辺りに木製の「鶴牧城跡」碑が立ち、最近では石碑が立っているようです。
城跡碑(姉崎小学校校門内の蘇鉄前)
校門の場所に「大手門」があったようですが、どのような形式の門だったのか不明です。
この校門前から真っすぐに道が延びて、堀替わりの「境川」を跨ぐ橋が「大手橋」と言われ、橋柱には「大手橋」の文字が削られています。
境川にかかる大手橋
陣屋跡は境川に囲まれた地形
「姉崎小学校」の周囲を廻ることができ、小学校の裏門辺りは、落ち着いた雰囲気が漂っていました。
陣屋敷地(姉崎小学校北側の周辺道路)
陣屋跡(姉崎小学校裏門付近)
「小学校」から少し歩いた所には「姉崎神社」がありますが、その脇にあるお宅の門が「陣屋裏門」であるとのことです。門形式は、「薬医門」となっています。
陣屋裏門(姉崎神社横に移築)
陣屋裏門の扉(姉崎神社横に移築)








