本日は、「出羽松山城」(山形県酒田市)に足をのばします。

 

大手門(県文化財)

 

「松山城」という城名は、「伊予松山城」(愛媛県松山市)と「備中松山城」(岡山県高梁市)にいずれも天守が現存していて重要文化財に指定されているので有名ですが、出羽にも「松山城」があります。

 

「出羽松山城」の前身は、14世紀後半南北朝時代に「佐藤正信」が拠点としていましたが、戦国時代には「上杉家」と「最上家」の争いの中で「上杉家」の支配下に置かれたようです。

 

関ケ原の戦い後に、「上杉家」から「最上家」の所領となりますが、お家騒動で「最上家」が取り潰しとなったことから、「最上家」の所領が「酒井忠勝」の所領となります。

 

この「酒井忠勝」は、同時代に幕府の幕閣としてまた大老にもなり「小浜城」城主の始祖でもあった「酒井忠勝」とは、同姓同名の別人です。

 

1647年に「忠勝」が逝去した後、「忠勝」の三男「酒井忠恒」が庄内藩の支藩としてこの地に「中山陣屋」を設けて藩庁とし、1664年には「松山陣屋」と地名を改めます。

 

1760年に三代目の「忠休」が幕閣の若年寄として手腕を発揮したことから、城主格となって幕府からお城を築くことが許可されます。といっても、「中山陣屋」時代からの「御殿」を中心に、「大手門」と「物見櫓」のみのお城でした。

 

大手門(県文化財)-桟瓦葺、入母屋造り、櫓門)

 

そして、譜代大名のお城としては珍しく、庄内藩の支藩でもあったことで、17世紀中頃から「酒井家」が幕末まで領主として「出羽松山城」を統治します。

 

「出羽松山城」は、「本丸」を中心に、北・東・南側から「二の丸」に囲まれ、「三の丸」は北・西・南側から「二の丸」を包み込む縄張りで、梯郭式平城でした。

 

「大手門」は立派な「櫓門」で、屋根上には青銅製の鯱が上がりました。当門は「三の丸」の西側に建てられますが、1790年に落雷で焼失したことから、酒田の大地主であり大富豪であった「本間家」の寄進によって再建されました。

 

「大手門」前には「丸馬出」を構えました。また、「二の丸」の南東部には「十三間堀」が掘られました。

 

大手門(桁行正面五間、背面三間、梁間三間)

大手門横から

櫓門内の階段

「松山文化伝承館」内展示の青銅鯱左側

 

現在は、城跡は「松山歴史公園」となっていて、その中央に山形県指定有形文化財になっている現存「大手門」が建ちます。

 

松山歴史公園城門風の入口

松山歴史公園内(大手門の前)

 

以前は学校の正門に使用されていたようですが、今は公園内のモニュメントとなっています。

 

松山(松嶺)城 大手門(県文化財)

 

当公園は、城郭らしく模擬の城壁が巡らされています。公園内には、「井戸」や「土塁」などが残る他に、城内唯一の櫓だった「物見櫓」跡の碑が立ちます。

 

松山歴史公園周辺を城壁風に

松山歴史公園内にある井戸

物見櫓跡付近

 

「本丸」跡の西側辺りには、「本丸土塁」が横たわり、「本丸御殿」跡には幼稚園が建っていますが、「松山城本丸御殿跡」碑が園前に立っています。

本丸の土塁

本丸の土塁

本丸御殿跡地(現幼稚園)

馬出し跡土塁

 

城域内には、「十三間堀」の遺構を取り込んだ「外濠公園」の他にも「南町口番所跡」や、「酒井家」の菩提寺「総光寺」の山門も見ごたえがあります。

南町口番所跡地

総光寺山門

 

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