譜代大名のお城シリーズは東北地方の「上山(かみのやま)城」(山形県上山市)を紹介します。

 

二の丸跡に建てられた模擬天守

築城は、「最上家」一族の「里見満長」によってこの地に入り、羽州街道と奥州街道との分岐点である交通の要所でもあったことから、戦国時代には「最上家」と「伊達家」との間で争奪戦が繰り広げられた。

 

「里見家」は、関ケ原の戦いでは「直江兼続」軍を撃退しますが、「最上義康」殺害事件によって追放され、その後に「最上義光」の五男が入城します。

 

しかしながら、「最上家」がお家騒動で取り潰されたことから、1622年に「松平(能美)家」が4万石で入城します。更に「蒲生家」から「土岐家」が城主となり、近世城郭として改築されて「三重天守」や「二重櫓」が築かれます。

 

「土岐家」の国替えにより一時「上山城」は廃城となりますが、「金森家」が入り復活し、1697年に「松平(藤井)家」が3万石で入ってからは10代続いて明治時代を迎えます。

 

「土岐家」が改築して造り上げた「上山城」は、前述のように美しい「三重天守」と「櫓門」と「白壁の城壁」によって「羽州の名城」と言われました。

城下から見上げる模擬天守

 

しかし、3万石の小藩であるのに相応しくないとの幕府の意向が働き、「土岐家」が出た後は「天守」等が破壊されましたので、「松平(藤井)家」が入城しても「二の丸」に居館を建てたのみで「天守」の再築はされませんでした。

 

「土岐家」時代の縄張りは、「本丸」が台地の最高所に置かれ、南東隅に「天守」が建てられ、東側には「二重櫓」を乗せた「城門」と南側には「大手門」、北側にも「城門」が築かれました。

 

「本丸」の周囲には「内堀」が巡らされ、その周囲を「二の丸」が取巻き、更にその周囲には「外堀」が掘られていました。その西側に拡がる所には「侍屋敷」が置かれ、東側の「羽州街道」沿いには「町家」が貼りつきました。

 

仲丁通り(武家屋敷通り)

 

現在の「天守」は「二の丸」跡に建てられた鉄筋コンクリート造り、望楼型「模擬天守」で、中は「郷土歴史史料館」として利用されています。場所や外観ともに、当時のものとは異なります。

 

模擬天守と模擬櫓門

模擬天守(望楼型)

天守から見下ろす城下

二の丸跡の土塁跡

 

お城西側の「仲丁通り(武家屋敷通り)」には、17世紀中頃に建てられた茅葺屋根や鉤型の曲屋である「武家屋敷」4軒が並び、「上山市指定文化財」に指定されています。また、藩校「明新館」跡には石碑が立っています。

 

上山藩武家屋敷案内図

武家屋敷「森本家」

武家屋敷「山田家」

藩校「明進館」跡碑

 

城主「土岐家」の時に、「紫衣(しえ)事件」に連座した京都大徳寺の僧「沢庵」を上山に迎え入れ居住した「春雨庵」が残っていて、山形県指定史跡となっています。また、その中には、「土岐家」の江戸上屋敷の庭園にあった灯籠を、近年になって上山市に寄贈された「土岐灯籠」を見ることができます。

 

春雨庵

土岐灯籠(江戸上屋敷の庭園にあった灯籠を移築したもの)

 

「上山城」への訪問は随分前で、当時はまだ縄張りについてはあまり関心がなかったのか、「本丸」跡の写真を全く撮影していませんでした。今から思えばとっても残念です。

 

因みに、「本丸」跡には、「松平(藤井)利長」「松平信一」を祀った「月岡神社」の敷地となっています。

 

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