前回のブログに続いて国宝天守を持つ「松本城」(長野県松本市)をお届けします。

 

「前編」は下記からご覧ください↓

 

前回は、「天守群」の内「大天守」を内外ともに見てきましたが、本日は「乾小天守」「渡櫓」「辰巳付櫓」そして「月見櫓」を見ていきましょう。

 

「乾小天守」は、三重四階で石川家時代の「望楼型天守」と考えられているようです。

 

一階と二階、三階と四階は通し柱を採用されています。また、四階の壁には「華頭窓」が付いていて雅を演出していますが、一階の「下見板張り」には、「鉄砲狭間」「矢狭間」「石落とし」で武装化されています。

 

天守と乾小天守(国宝)

乾小天主1階(たくさんの丸太柱)

乾天守2階部分

 

「辰巳付櫓」は、二重二階の下見板張りで、二階に「華頭窓」を設けています。

 

月見櫓と辰巳付櫓(1636年頃松平直政時代に増築)

辰巳付櫓2階の華頭窓

 

「月見櫓」は、「辰巳付櫓」に付随して一階建て地下一階の寄棟造りとなっています。三方に赤色の「高欄」を持つ「廻縁」が取り巻き華やかさを醸し出しています。築城年は、1633~38年の間で、平和な時代になり増築された建造物です。

 

月見櫓の地階入口、辰巳付櫓の華頭窓

月見櫓の舞良戸と廻廊

水門跡(月見櫓脇)

内堀(北から南へ)

 

「天守群」は「本丸」の西側に位置しており、その東側には「本丸御殿」が建っていました。

 

「本丸」の出入口は、メインが高麗門と櫓門で形成された枡形門の「黒門」、北側には「北裏門」を構え、西側には「埋門」を置き、現在は真っ赤な橋が架けられていますが、当時は「足駄塀」が建っていました。「黒門」は、復元されています。

 

本丸御殿跡(月見櫓から)

本丸御殿跡

黒門(櫓門-昭和35年復元、二の門-平成元年復元)

黒門出枡形内部(櫓門-昭和35年復元)

埋門と埋橋

 

「足駄塀」は、本丸の水堀の中に設けられた塀で、緊急時には塀を倒して「浮き橋」として使用することが可能で、幕末まで残っていたそうです。

 

埋橋(天守から)

 

「黒門」を出ますと「二の丸」が「本丸」の東・西・南側を取り巻くような敷地になっています。

 

「黒門」を出てすぐ左手の現在「市立博物館」の場所が「古山寺御殿」跡で、藩主の私的な生活空間用の御殿として存在していました。

 

古山御殿跡(現市立博物館、左側)と辰巳櫓跡、外堀

 

「二の丸」の北側で「古山寺御殿」の北側には、政庁と居所を兼ねた「二の丸御殿」が建てられていて、現在は御殿配置が判るように表面表示のプレートが配備されています。

 

そして「二の丸」の北東隅には、「金蔵」が当時のままの姿で現存しています。

 

二の丸御殿跡

二の丸金蔵(現存、北東から)

 

「二の丸」の四隅、外堀沿いには「丑寅櫓」を始め「辰巳櫓」「未申櫓」「戌亥櫓」の四櫓が二重で構えていました。

 

二の丸丑寅櫓跡 

二の丸裏御門橋

外堀(二の丸東側)と二の丸土塁

 

「二の丸」と「三の丸」の行き来は、「太鼓門」を通行することになり、枡形形式で櫓門の脇には「鏡石」として「玄蕃石」が嵌め込まれています。現在は、当門も復元されています。

 

復元太鼓門の高麗門(桝形を形成、二の門)

復元二の丸太鼓門の櫓門(一の門)

太鼓門の櫓門入口脇の玄蕃石

 

「三の丸」は、北側に寺社を置き、作事所と呼ばれる建築工事用の資材置き場となっていました。また、南側一帯には武家屋敷が拡がっていました。

 

「三の丸」の周囲には「総堀」が掘られ、四か所に「馬出」を設け、いざという時の備えを行いました。現在はその「総堀」の一部が、三の丸の北東部分に残っています。

 

総堀(北側部分)

 

次回ブログでは、城下を見ていきたいと思います。

 

 

 

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