「中津城」(大分県中津市)の「中編」です。
立派な五重五階の「天守」が建ちますが、実際には「天守」は立ち上がっていなかったそうで、この模擬「天守」は「萩城」を模して建造されました。
また、現在建っている「二重櫓」ですが、この場所にも二重の「本丸東南隅櫓」が建っていて「多門櫓」が繋がっている古写真が残っています。ただ、「二重櫓」の形は全く写真とは異なっているので模擬「二重櫓」になってしまっています。
模擬天守(5重)と模擬二重櫓 (天守は存在せず、復興二重櫓の場所に二重櫓はあった)
模擬天守(5重)と二重櫓
復興二重櫓(この場所に本丸東南隅櫓が建っていた)
模擬天守(5重、1964年昭和39年復興)
「本丸」の北側、模擬天守台から「奥平神社」裏側にかけての石垣には、「黒田家」時代に古代の「神籠(じんご)石列石」を使用して積んだ石垣と、「細川家」時代に積みなおした石垣がぶつかりあう所があり、「y」字状に筋がついているのを確認できます。
石垣にy字状の目地(右側が黒田家の石垣で神籠石を利用、左側が細川家の石垣)
「本丸下段」の南側には、修築された石垣が緩やかなカーブ(平ノスキ)を描いており、水堀が復元されています。
本丸下段南側土石垣と堀(石垣が緩やかなカーブを描く)
堀に張り出した出角の石垣で反らない
この「水堀」の南側一帯が「三の丸」跡となり、藩の上級武士の居住地となっていました。この「三の丸」周囲は「おかこい山」と呼ばれる「土塁」で囲われていて、今でも住宅地やお寺の裏手などに残っているのを見ることができます。
中津城おかこい山 (中津城の総構えの土塁、自性寺周辺、県指定文化財)
総構え広津口の石垣 (中津城おかこい山に続く)
おかこい山跡(総構え、民家の裏庭)
鷹匠町おかこい山(市指定史跡)
「三の丸」は、東側に「大手門」を構え、西側には「西門」が構えられていました。いずれも、枡形虎口を持つ「櫓門」が立ち堅固な門でした。
現在では、「大手門」跡石垣が「南部小学校」の校門から沿って残りその正面には縦石が残ります。また「西門」跡にも、中津城の「搦手門」としての役割を担った立派な櫓台が残ります。
大手門石垣の縦石
西門石垣(桝形、搦手門、1869年9月に焼失)
「二の丸」は、「本丸」北側から東側にかけて広がり、現在では「二の丸公園」や行政諸施設などに敷地になっています。
二の丸公園
二の丸跡(天守より)
「中編」は城域までとして、「後編」ブログでは、江戸時代の面影が残る城下を紹介したいと思います。
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