本日からは、「徳川家康」が「今川家」から解放された時より関ケ原の戦い直前までの間に、「家康」に仕えた者の家で幕末まで続いた大名が、居住したお城を見ていきたいと思います。
この仕分けには、これまでも参照してきた「武光 誠」氏の「江戸日本を創った藩祖総覧」(PHP文庫)を使用しています。
先般までのブログで紹介してきた「三河以来の譜代」に加えて、「旧今川家」や「旧武田家」の家臣団などを取り込むことによって、徳川家は大きく勢力を拡げることができました。
これらの家の石高は大きくなく、殆どが10万石以下の中小大名でありましたが、彼らは徳川幕府の幕閣として入り込み、「徳川幕府」の色々なポストを押さえていました。そして幕府運営や政策などに大きく貢献した大名は、加増されて新たな知行地に転勤したり、新たな知行地を加えられたりしました。
勿論失敗した場合は、目に見えた減封は少なかったものの、新たな知行地に転勤させられ、実質の石高は今までの所から比較すると悪くなっているケースもあって、左遷場所にするお城もあったようです。
このように、「譜代大名」は転封(転勤)が多くて、18世紀半ば頃までは、譜代大名が居城したお城を何か所か廻ることが多かったようです。
従って、「この家(大名)」の「お城」は「このお城だ」とは一概に言えませんので、18世紀になって知行地が定着して幕末まで居城したお城を紹介していきたいと思います。
○保科正光<高遠城→会津若松城、・・・→飯野陣屋>
会津若松城 外観復元天守(コンクリート)
飯野陣屋 本丸南西部の土塁
○牧野康成< ・・・・長岡城>
長岡城 本丸跡碑(長岡駅前で本丸御殿があった)
○戸田康長 <・・・・松本城>
松本城 左から小天守、渡櫓、大天守(埋橋越し)
○岡部長盛<山崎城→丹波亀山城→福知山城→大垣城→岸和田城>
岸和田城 模擬天守と小天守(八陣の庭から)
○戸田尊次<田原城→宇都宮城>
宇都宮城 清明台と城壁と富士見櫓(南側から)
○稲垣長茂<伊勢崎陣屋→・・・・→鳥羽城>
鳥羽城 本丸跡
○山口重政<牛久陣屋>
牛久陣屋 土塁跡
○小笠原信之<本庄城→越前勝山城>
勝山城址の石碑








