前回と前々回のブログでは、「伊達政宗」の居城「仙台城」を訪問しました。

 

「政宗」は、「仙台城」を築城する前は、「岩出山城」(宮城県大崎市岩出山)に12年間居城していました。本日は、その「岩出山城」に訪れたいと思います。

 

「岩出山城」は山城で、頂上部に「本丸」を置き、「西の郭」とも繋がっています。「本丸」から少し降りた所には、「南の腰郭」から細長い「二の丸」を西側に配置し、東側の中腹には「東の腰郭」を置きました。北側は、空堀や堀切を設け、更には「北の物見台」も置いて防御を固めています。「大手門」は山の南側麓に置き、「南の物見台」や「虎の口」を設置して上から監視しています。

 

岩出山城(要害)の絵図(伊達一門伊達家14,640石)

 

「政宗」が「仙台城」へ移った後は、「政宗」の四男「宗泰」が初代となる「岩出山伊達家」の居城となりますが、1615年の「一国一城の令」以降は、「岩出山要害」として存在し幕末まで続きました。

 

現在は、「岩出山」全体が山城跡となり、頂上部の「本丸」跡と「西の郭」跡は「城山公園」となっています。

 

岩出山城遠景(東側より)

本丸の土塁

本丸跡(西の腰郭方向)

内門跡(西の腰郭への入口)

西の腰郭(内門跡から)

 

「西の郭」の広場には、コンクリート造りの「伊達政宗」像が立っていますが、「仙台城」本丸に立っていた銅像「政宗」像が太平洋戦争時に金属供出された後に造られ昭和39年まで立っていたものを、この場所へ移設した像です。

 

伊達政宗像(西の腰郭内、以前は仙台城本丸に設置、昭和39年に移設)

 

「二の丸」跡は、こども広場、さくら広場、ダルマ広場と寂れた公園になっていますが、ダルマ広場の周囲には、「物見台」跡や「空堀」跡をかろうじて見ることができます。

 

二の丸(こども広場) 

二の丸跡(岩出山高校)

物見台と堀切

堀切

二の丸(町章広場(右)と空堀)

 

「岩出山城」の麓には、要害時代に栄えたと思われる城下町の雰囲気が残る所もあります。またJR「有備館」駅前には、要害時代の藩校にあたる学問所「有備館」が現存しています。私が訪問した際には、修築工事中でシートに覆われていて見ることができず残念でしたが、併設の庭園は池泉回遊式庭園で、夏に訪問したことでもあり、池に映った青々した木々の姿は非常に涼しげな様相を呈していました。

 

森泉酒造店

内川を渡る二ノ構橋 

有備館正門(有備館と庭園は1933年に国史跡名勝に指定)

有備館主屋の写真(庭園内の写真掲出より)

有備館庭園の出先 

有備館庭園築山

 

ここで少し「要害」について触れておきます。仙台藩では、膨大な家臣団を維持すべく、家臣に土地を直接支給する「地方地行制」を採っていて、その拠点の一つとして「要害」と命名されていました。他には規模や機能に応じて「所」「在所」「在郷」に区分されていたようです。

 

「居館」を中心に曲輪を設け、土塁や石垣や堀で周囲を固めたり、櫓を設けたりしていて、「一国一城の令」が発信されていたものの、仙台藩ではまさに城郭化して存続していました。「要害」は21か所あったと言われています。

 

次回では、私が訪問したことのある「要害」を紹介したいと思います。

 

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