本日からは、「豊臣秀吉」の天下統一に従った藩祖が、江戸時代を通じて幕末まで大名として存続し、藩庁として居城とした「お城(陣屋含む)」について見ていきたいと思います。
その第一弾として、「蠣崎(松前)慶広」を祖とする松前家のお城「松前城」(北海道渡島松前郡松前町)を訪問します。
復元天守(三重櫓)と重文本丸御門
「蠣崎(かきざき)家」は、主家である「安東家」が津軽から蝦夷に進出した時に従った家で、その後は蝦夷で勢力を伸ばしていきました。五代目の「慶広」の時に、「豊臣秀吉」に謁見して、蝦夷島(北海道)の支配者として大名に準ずる扱いを受けます。
徳川政権下においても、蝦夷島の支配は認められ、姓を「松前家」と改めます。居城は、現在の場所に「福山館」という陣屋を設けました。
幕末になりロシア艦隊が頻繁に表れるようになると、幕府から北方警備の為に、「福山館」の場所に築城することを命じられ、1854年に「松前城」が出来ます。五島列島の「福江(石田)城」と同様に、江戸時代最後に建築されたお城となりました。
「松前城」は、高崎藩の長沼流軍学者「市川一学」の理論によって築城されたお城で、大手門からの通路は曲がりくねった構成で防衛力には優れていました。しかし一方で、裏側の搦手からは敵が攻めてこないものとして築城されていたので、搦手からの攻撃には成すすべがありませんでした。
復元搦手ニの門(高麗門、かつては桝形で右側に櫓門があった)
明治初年(1878年)に、旧幕府軍の「榎本武揚」の軍勢が、箱館の「五稜郭」を制圧した後、旧幕府軍艦からの艦砲射撃とともに元新選組の「土方歳三」率いる軍勢が、「松前城」の搦手から攻撃をしかけたことで、数時間で落城してしまいました。
お城は、最上階に「本丸」を置き、其の下に「二の丸」更に下には「三の丸」を置く雛壇状となっていました。「本丸」の東南隅には三層三階、層塔型で破風無し、白漆喰総塗籠めの天守代用「三重櫓」が建ち、その西側には「本丸御門」を据えました。
この天守代用「三重櫓」は、旧幕府軍艦からの砲撃に耐え、太平洋戦争にも耐えましたが、昭和24年の火事によって、残念ながら焼失してしまった経緯があります。その後、コンクリート造りで外観復元されましたが、一昨日のニュースでは、この「三重櫓」も老朽化によって、木造による建て替えが計画されているとのことです。写真、図面、資料がふんだんに残っていることから、内部も詳細に復元されるとのことで、非常に楽しみであります。
復元天守(ニの丸側)
天守と本丸御門間の石垣(亀石積み)、右は天守台石垣
復元天守と本丸御門(手前)
復元天守(本丸御殿跡側から)
復元天守三階内部
在りし日の天守内部(天守閣内掲出の写真より)
在りし日の天守内部(天守三階天井、天守閣内掲出の写真より)
「本丸御門」は特徴のある櫓門で、前面から見ると低い二階建てですが、「本丸」内側の背面は櫓部分がなく門と石垣の上に屋根が乗っているスタイルで、現在は重要文化財に指定されています。
本丸御門(二の丸側から)
本丸御殿(重文、横から、右側が二の丸側、左側が本丸側)
本丸御門(重文、本丸側から)
「本丸」には、「本丸御殿」が建てられていました。その玄関は立派な唐破風を持ったもので、廃城後には玄関を小学校の校舎の玄関として使用されていましたが、現在では「本丸」跡の端に移築保存されています。
本丸御殿跡
表御殿玄関部分
内堀(右側が本丸)
「二の丸」には、「太鼓櫓」と「東郭隅櫓」が、白漆喰総塗籠で破風なしの銅板葺きのシンプルな櫓であったことが、古写真から窺うことができます。正面には「大手門」が置かれ枡形を形成していますが、「一の門」「二の門」以外にもう一つ門があったそうです。東側には「搦手門」が置かれ、現在は「反橋」、「三本松土塁」、「搦手ニの門」とその脇の「土塀」や「外堀」が復元されています。
古写真(幕末、天守内掲出の写真より)
左から、多聞櫓、太鼓櫓、天守代用三階櫓、隅櫓が見える
二重太鼓櫓台跡(二の丸南東隅)
大手門跡へ登る階段
大手門跡
反橋と三本松土塁と搦手ニの門
外堀(反橋方向)
外堀と三ノ丸土塁
「三の丸」には、土塁に沿って七基の「砲台」が海側に向かって据えられ、現在は「七番台場」跡の上に屋形が組まれ、「五番台場」の跡と
ともに見ることができます。ここから眺める日本海は、非常に雄大に見えて美しいですが、明治初年の旧幕府軍艦が浮かんでいて、艦砲射撃を受ける側としては恐ろしい場所だったと思います。
三の丸土塁(六番台場跡方向)
三の丸五番台場跡
三の丸七番台場
三の丸五番台場跡から城下と海を臨む
「三の丸」から城下に出る門は、「馬坂門」と「天神坂門」など5か所あったようで、「天神坂門」は復元されています。
馬坂門跡(馬坂側から三の丸方向)
馬坂(藩士の登城ルート)
復元天神坂門(高麗門)
復元天神坂門(高麗門)
沖之口坂(下りた所に沖口役所があった)
本日はここまでとして、次回のブログでは松前城の遺構が残る寺院や、松前家の墓所が集まる菩提寺がある寺町通り、及び復元藩屋敷
を見てまいりたいと思います。
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