「有馬家」といえば、キリシタン大名とのイメージが沸く方は多いと思います。古くから島原半島で勢力を拡大していて、「有馬晴信」は貿易で富を築き、「大龍寺家」から独立して「豊臣秀吉」からは所領を安堵されました。

 

関ケ原の戦いでは、中立を保ったことから本領を安堵されましたが、その後の幕府のキリシタンに対する圧政の中で、長崎奉行の暗殺計画を企てたとの罪で、「有馬晴信」は切腹を命じられ「有馬家」はお家断絶となりました。

 

しかし、「有馬晴信」の嫡子「直純」の妻は、「徳川家康」の養女ということからお家再興が叶い、領地もキリシタンの多い島原から延岡に移してもらい、更に「有馬清純」を始祖とする「有馬家」は「糸魚川」を経由して「丸岡城」(福井県坂井市丸岡町)に替わります。

 

天守(二重三階望楼型、南東から) 

 

本丸復元絵図 (天守入口の資料館掲出)

 

そもそも「丸岡城」は、「柴田勝家」の甥の「勝豊」が築城し、その後「柴田勝家」が「北ノ庄城」で滅ぼされた後は「丹羽長秀」の所領となり城代が置かれ、更には「福井城」に移封となった「結城秀康」の所領となり、後に付家老の「本多成重」が城主となります。

 

「丸岡城」天守の階段下にある碑に刻まれた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」が、日本で最も短い手紙であることで有名ですが、その手紙の中に書かれている「お仙」が「本多成重」の幼名で、父親の「本多重次」が長篠の戦いの陣中から妻に宛てた手紙として知られています。

 

一筆啓上碑

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」と彫られている

 

 

「本多家」のお家騒動があり、その後1695年に前述の「有馬家」が入り、その後は幕末までこの地を統治することになります。

 

「丸岡城」は、不等辺多角形の独立丘陵上に「本丸」を置いた平山城で、天守閣の周囲を「腰曲輪」で取り巻いていました。

 

本丸古地図(不等辺五角形の内掘)(天守入口の資料館に掲出)

 

天守閣(重要文化財)

本丸内

野面積みの本丸跡西面

本丸下の曲輪

 

重要文化財の「天守閣」は、二重三階の独立式望楼型で下見板張り、出格子・破風・狭間から細部に採光されます。一階には、雨水が城内部に侵入しないように「腰屋根」を設け、「出格子」が石落としの役割も担っていました。

 

天守閣(西より)

 

下見板張と腰屋根(水切り屋根)

天守1階格子出窓

突上戸の格子窓と格子出窓

 

上階へ上る階段は、非常に急角度で、現在は上り用としてロープが設けられています。二階は、入母屋の屋根裏となり、三階には廻縁を付けていますが外に出て望楼を楽しむ為のものではなく、格式をあげるための装飾として付けられているだけです。

 

2階切妻屋根の出部屋

1階の格子窓

1階入側

3階(階段にロープ)

 

屋根は、近辺で取れる「忽谷(しゃくだに)石」で吹かれた石瓦で寒暖差の大きい土地特有の葺き方で、天守台の脇には以前使用していた石の鯱が置かれています。昭和23年に発生した福井地震で天守閣が倒壊したのは、一つにはこの重い石瓦が原因であったとも言われています。

 

高欄廻縁と石瓦 

天守高欄廻縁(出られない)

石瓦の鯱鉾

昭和23年福井大震災で倒壊した天守(資料館掲出の写真)

 

「二の丸」は、「本丸」の北側に置かれ「御殿」が建てられていて「大手門」が西側に置かれていました。「二の丸」の東側には「東の丸」を配置し「裏門」をこちらに置きました。

 

二の丸跡

 

裏門跡付近

 

「本丸」「二の丸」「東の丸」を取り巻く「内堀」は、最大幅90mもある五角形の水堀でした。現在は完全に埋め立てられていますが、それが道路になっているので、凡その輪郭がわかります。

 

内掘跡(現駐車場)

 

 

更には、その周辺を「三の丸」を置き、外側には二重、三重と堀があり、東側では一部四重と、田島川も利用しながらの水堀で防備を行っていました。

 

外堀代わりの田島川

 

 

周辺には、数か所の門が置かれていましたが、現在は各門があった場所を示す「標識」だけがあり、門があった跡は殆ど見ることができません。

 

里丸岡口門跡碑

 

福井口門跡(手前は外堀跡の田島川)

南三の丸と平章館跡 

切支丹灯籠

 

城下には、藩主であった本多家歴代の墓が「本光院」に、本多家の後に藩主となった「有馬直純」と直純の室「日向御膳」の墓は「白道寺」に並んでいます。

 

本多家歴代墓(本光院)

 

有馬直純と直純の室日向御膳の墓(白道寺) 

 

城郭建造物は、「天守閣」しか現存していませんが、丘の上の古風な姿を眺めると、地震後に復元されてよくぞ今まで持ちこたえてくれたなーと思うことしきりであります。

 

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