「鍋島家」には本城「佐賀城」の他に、「鹿島陣屋」「小城陣屋」「蓮池陣屋」の三陣屋(広義にはお城ではあります)がありました。一応は、それぞれ別の藩の藩庁として、独立して築かれた陣屋です。
「鹿島陣屋」(佐賀県鹿島市)は、1610年に当時の藩主「鍋島勝茂」の弟である「忠茂」に2万5千石を分与して、「鹿島藩」が立藩しました。当初は「常広(つねひろ)城」(鹿島市)を与えられて居住していましたが、1807年に9代「直のり」の時に水害に悩まされていたことから、「鹿島陣屋」(佐賀県鹿島市)を構えてそこに移ります。石高は2万石を越えるものの、「城持ち大名」ではなかったので、居城は「陣屋」しか造ることができませんでした。
しかし、この陣屋の縄張りは、「本丸」「二の丸」「三の丸」で構成され、周囲は石垣や土塁、堀などで囲まれ、更には武家屋敷が周囲を取り巻くことで外郭に相当した曲輪となっていましたので、お城と呼ぶに相応しいものでありました。門は、「大手門」「搦手門」「東門」「西門」で守護されていました。
「大手門」
「大手門」に付く鍋島紋
現在でも、「本丸」周囲には武家屋敷が建ち並んでいて、石垣や築地で囲われた建物をみることができます。「本丸」跡は現在「県立鹿島高校」の敷地になり、その「表門」に「赤門」が現存していて、入り口から東側には水堀が横たわっています。
「大手門」は、切妻造り、本瓦葺の立派な「高麗門」型式で、これも赤色をしていて、前述の「赤門」とともに、県重要文化財に指定されています。
「本丸表門」の赤門と「多門長屋」(鹿島高校内から)
赤門脇の土塀(現存-鹿島高校内)
赤門横の外郭の堀
本丸内石垣
藩校「弘文館」跡
「大手門」から「本丸表門」の赤門までの間の白壁(外郭内武家屋敷)
外郭内の武家屋敷と「本丸」跡への道
家老屋敷の門(棟門)
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