一昨日は涼しい日でしたので、ウオーキング兼ねて、近場にある「朝鮮式古代山城」の「高安城」に急遽行くことに決め、慌てて家を出たのが10時半でした。

 

近鉄難波駅から乗車して鶴橋で大阪線の列車に旨く乗り換えをし、山本駅で信貴山(しぎさん)線に乗り換え信貴山口駅まで辿り着きました。ここから、西信貴ケーブルカーに乗って高安山430mまで一気の登っていくことになりますので、ここ以降売店はないと思い、信貴山口駅前の売店でオニギリでも購入しようとしましたが、なんと!オニギリもパンもなく、仕方なく大福餅だけを買いました。

 

西信貴ケーブルから大阪平野を望む

 

寅の絵が入った黄色のケーブル車両、近鉄線なのにタイガースか?と、何故なのかわからないまま約7分間上がっていきました。乗客も5人程度の車内でしたので、眺めの良い座席でどんどん小さくなっていく大阪平野を見下ろし、遠くには大阪市内のビル群、少し左手には、日本最高の高さのアベノハルカスのビルがホッソリと見えました。夜は、素晴らしい夜景なんでしょうね。気温も、かなり涼しい!

 

西信貴ケーブルの車両

モノレールから大阪ビル群

今回は、あまり事前調査なく家を出てしまったので、高安山駅に着き、駅員さんに「マップ」を貰いルートを教えて貰いました。ハイキングコースを10分程歩いたところに、「気象台レーダー」があり、その北側付近にひっそりと解説文が記載されえた「高安城跡」碑が立っていました。それがないと、そこが高安城の中心場所であることが分からないところでした。付近には、土塁のようなものがありましたが、果たしてどうなのか?

高安城中心部分に立つ「気象レーダー」

「高安城跡」碑

土塁跡?

そこから少し歩いた所で、「信貴生駒スカイライン」を横断すると、「高安城倉庫址」への道標がありましたが、草深い道となり更には枝分かれした小道に入り少々不安になりながら進むと広場が現れ、とりあえずホッとしました。

 

道標

「高安城倉庫址」は、手前から1号、2号、3号・・・6号まで並んでいるそうですが、2号の広場には礎石が並び新しい「高安城倉庫址」碑と解説板が立っていました。そして3号の広場にも礎石が夏草に少し覆われながらも整然と並んでいます。遠くの方には、どこの山なんでしょうか連山が美しく延びていました。

「高安城跡倉庫群礎石」の解説

礎石群の配置図

「高安城倉庫址」碑

高安城倉庫2号礎石

高安城倉庫3号礎石

この「高安城」の歴史ですが、時代はかなり遡ること1,350年位前に、日本と百済の連合軍が、朝鮮半島で唐と新羅と戦ったものの破れて日本軍は戻り、その後唐が攻めてくることを予想して、時の天皇である天智天皇が、朝廷のある大和までの各所に城(き)を築かせた城(き)の一つが「高安城」です。

 

「朝鮮式古代山城」には、対馬の「金田城」、福岡の「大野城」「基イ(きい)城」、山口の「長門城」、香川の「屋嶋城」、そして大阪府八尾市・奈良県平群郡の「高安城」が主なものですが、その他にも熊本県の「キク智(きくち)城」、福岡県の「水城(みずき)」なども有名です。「鞠智(きくち)城」では、八角形をした「鼓楼」という建物を始め倉庫などの復元がされています。大雨の中、訪問しましたので、写真も雨粒が一杯写っていますが、どうぞご覧ください。

 

「大野城百閒石垣」

「大野城 大宰府口城門跡」 (城内側から)

「大野城 建物(倉庫)の礎石」が10棟分

「大野城 尾花地区の土塁」

「鞠智城 鼓楼(八角形建物)」

「水城東門跡」の礎石と碑

「水城東門」から西に延びる「水城跡」

また、「神籠石(じんごいし)式山城」で最も有名なのが、岡山県総社市にある「鬼ノ城(きのき)」ですが、私はまだ、訪れたことはありません。

 

先日ご紹介しました「吉野ケ里遺跡」がお城のスタートとすれば、「古代山城」は国と国との戦いに備えたお城ということで、吉野ケ里の次に歴史のあるお城であったのかもしれません。

 

この後のお城の歴史を見ていくと、東北地方に現れる「城柵(じょうき)」で、大和朝廷が北方(蝦夷)侵略の阻止と東北地方の支配を進める目的で拠点をお城という形で設置したものです。「多賀城」は最も有名ですね。

 

以上のように、お城の歴史を追っていくことも面白いかもしれませんね。また、機会があれば、触れていきたいと思います。

 

歴史はさておき、すでに12時半、私はここで信貴山口でで購入した大福餅を頬張って、戦国時代で悪名高い「松永久秀」のお城「信貴山城」を目指して歩きます。では次のブログで。