「松江城」(島根県松江市)④では、搦手門跡から稲荷橋、新橋を越えて、城下町に向かいます。
特に、城山である亀田山から堀越し北東にある細長い「塩見縄手」には、松の木が斜めに生え、武家屋敷が建ち並んでいて、江戸時代の風情を感じることができます。
塩見縄手沿いの武家屋敷
塩見縄手通りの松と堀
塩見縄手通り
この場所は、元々宇賀山(うがやま)という、お城の有る亀田山と赤山の間にあった丘でしたが、そこを削って窪地にし北方防御のエリアとして開削されました。そして、塩見邸を始めとした大身家臣の屋敷を置いて防衛の備えにしたそうです。大身者は、身体を張れとのことだったようです。
塩見縄手沿いの武家屋敷
武家屋敷座敷
武家屋敷の家族部屋
武家屋敷 当主居間
武家屋敷 内玄関の間
この「塩見縄手」武家屋敷群の中に、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの旧居がありますが、この家は、元々は150石程度の武家屋敷でしたので、風情が残ります。
塩見縄手内にある小泉八雲邸の門
この小泉八雲は、明治時代に記者として来日し松江で英語教師となり、士族の娘である小泉セツと結婚して小泉姓を名乗りました。紀行文作家、小説家、随筆家などの肩書があり、「怪談」という小説は有名ですね。
塩見縄手を南に下っていく間、右手の堀には堀川巡りの小舟がゆったりと流れてきます。そして、「宇賀橋」を渡りますと、「北惣門橋」があり、そこからは「脇虎口の門」を通り、米蔵跡である「二の丸下の段」の中に入ることができます。
堀川巡りの小舟
宇賀橋前にある武家屋敷風の門と塀
宇賀橋
北惣門橋(眼鏡橋)
脇虎口の門跡
二の丸下の段(米蔵曲輪)
この「二の丸下の段」の堀沿いの石垣には、石垣をよじ登ってくる輩を横から矢で射れるようにしている「横矢掛り」も見られます。
惣門通利横の堀と長く続く石垣(枡形横矢を設けている)
惣門橋通りを更に南へ下ると、今回のスタート地点でありました「大手木戸門」跡に辿り着きますが、更に大手前通りを下りますと、そこからは、堀越しに「二の丸上の段」に並ぶ三基の復元櫓が美しく眺めることができるスポットとなります。この場所辺りから、撮影された古写真によって、三基の櫓が復元できたのです。
三の丸と大手前通りの間の堀
復元南櫓と中櫓と復元塀(大手前通りから)
島根県庁が建ち並ぶ敷地が「三の丸」で、江戸時代にも政務を執る表御殿と城主の居館である奥御殿が並んでいた場所だったようです。
そして、「三の丸」の北側からは、「千鳥橋」という廊下橋が「二の丸上の段」の南口門に向けて架かっていました。多分、政務を終えた藩主は、その橋を渡り、二の丸にある奥向御殿或いは月見櫓へ足を延ばしていたと思われます。
南櫓から見下ろす三の丸(現県庁敷地)
千鳥橋(眼鏡橋)-三の丸と二の丸を結ぶ
「三の丸」の西側に設けられた「西三の丸」には、御花畑と呼ばれていて、回遊式庭園や馬場などが置かれていたようです。
秀忠系松平家のお城シリーズの中で、松江城については、最近天守が国宝となりましたので、少し詳しく尋ねることにしました。明日以降は、松江城から少し南側に位置する「津山城」へ向かいたいと思います。
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