本日は「松江城」(島根県松江市)の国宝”天守”へ向かって登城します。
松江城の縄張りは、亀田山の山頂を本丸に、中腹を二の丸上の段と中曲輪に、その下に帯曲輪と腰曲輪を、更に麓には二の丸下の段、大手口、後曲輪で構成されています。
また、北側には北の丸を設けていますので、本丸と北の丸の二つ中心があるように見えます。一応は、梯郭式の平山城ですが、2つの中心があるということで並郭式という言い方をする本もあります。
さて、麓からは、大手木戸門跡を通り、大きな馬溜という枡形を抜け大手門跡を通り抜けると、昔米蔵が並んでいた二の丸下の段に出ますが、そこから右に曲がって階段を上り、三の門跡を通り抜けると左手に二の丸上の段があります。
そこには、復元された3つの櫓が並んでいますが、これは明日以降に紹介するとして、二の門跡と一の門跡を抜けて本丸に至ることにします。
大手木戸門跡(中は馬溜で井戸屋形が見える)、太鼓櫓を臨む
南惣門(大手門)跡石垣(二の丸下の段側から)
二の門跡
一の門跡(模擬南多門櫓、手前は弓櫓跡石垣)巨石が使用されている
本丸の周辺には、5つの櫓が多門櫓に繋がって建てられていたようですが、それはさておき国宝天守へ真っすぐ向かうことにしましょう。
天守と付櫓
先日触れましたが、2015年に国宝指定された決定打は、天守建築の際の「慶長十六年の祈祷札」が再発見されたことです。
地階と四重五階、二層の大入母屋造りの上に、望楼を乗せた.天守へは、前にへばりついて付櫓の地階から入る構造です。これは、複合式天守と呼ばれます。犬山城、彦根城、岡山城もその形式でしたね。
二層目までは、ゴツゴツ感がある武骨な全面板張りの壁ですが、付櫓と三層以上は白壁が一部見られる下見板張りの壁に、更には望楼部分の一層目には華頭窓が据えられていて、優しさも感じられる、なんともアンバランスな天守閣でもあります。
天守二層の大入母屋で望楼型天守、華頭窓と付上げ窓併用
付櫓の入口には、上から鉄砲で狙える細工の足場棚があったり、地階には、非常時に備えた井戸が掘られていたり、塩等の貯蔵庫となっていたり、便所も地階の他に四階にもあって、戦闘と籠城戦を意識した構えになっています。
また、変わったところで、一般的には最下層階にある石落しが二階にあることです。
地階の井戸
天守の入口
天守閣を支える柱は、寄木柱で柱に厚板を繋ぎ合わせて張って、鎹(かすがい)や鉄輪で強度を増しています。天守には308本の柱がありますが、その内130本にこの手法を導入しています。この情報は、城郭検定試験1級(第6回)でも出題されましたね。
天守1階(天守を支える寄木柱、鎹と鉄輪が見える)
天守2階の武者窓、武者走り
天守3階から4階への階段
天守4階の千鳥破風の間
天守4階
四階から五階へ上がる階段の途中には踊り場があり、踊り場から四階を見下ろせるようにもなっています。五階の屋根には天井がないので、屋根裏がむき出しのままになっています。
天守の4階と踊り場で吹き抜けになっている
天守5階(内部望楼廻縁と鴨居の仕切り)
天守5階天井部分
本日は、ここまでとして、次回は本丸周辺の櫓、二の丸上の段、二の丸下の段から北の丸に向けて歩いてまいります。
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