本日は、松平(結城)秀康系の松平家の居城である母里(もり)陣屋を訪問します。母里は、島根県安来市伯太町にあります。

 

藩主は、松江藩の初代松平直政の三男隆政に1万石を分封しました。昨日、訪問しました広瀬藩と同様(9代以降は参勤交代をしましたが)に、参勤交代の無い江戸定府でしたので、陣屋在住の藩士も少なく、陣屋自体も御館でそんなに大きなものではなかったと思われます。

 

最後の藩主である松平直哉(なおとし)は、帰国してすぐに第2次長州遠征軍への参加が命じられました。版籍奉還後、直哉は、農民から土地を買い上げて藩士達に与え、帰農させることに注力しましたが、廃藩置県でその政策も宙に浮いてしましました。

 

現在、母里(もり)地域には、帰農した藩士達が居住した「豪農屋敷」が多数見ることができますし、家臣たちの屋敷街も面影を残しています。更には、中心の公民館前には、1831年に火難を回避する為に設けられた「時の櫓」の復元櫓が、平成19年に再築されています。

 

西母里の街道沿いの豪農屋敷

「時の櫓」前の豪農屋敷

西母里の家臣達の屋敷街

復元「時の櫓」

陣屋があった場所は、現在は伯太(はくた)中学校と母里小学校の敷地になっていて、中学校の職員室入り口前には、「母里藩藩館跡」の石碑が立っています。

 

母里藩藩館跡の碑

母里藩藩館跡に建つ伯太中学校校舎