昨日は、宴会、肩こりと歯痛で、ブログ更新が途切れてしまいました。

本日はロキソニン、カロナール飲みながらのブログですので、少し軽い記載になりそうです・・・悪しからず

 

先日から結城(松平)秀康系のお城シリーズを始めましたが、本日は糸魚川藩の藩庁であります糸魚川陣屋についてお話します。

 

秀康のひ孫の松平直堅を始祖とする家系で、直之が1万石で1717年に統治を始めましたが、定府大名だったので藩主は江戸に在住していました。ですので、陣屋自体もそんなに大きなものではなかったと思われます。

 

糸魚川は、堀秀治が清崎城を築いて統治していました。その後松平家が入封するまでは、徳川家康の六男松平忠輝の家老が治めており、その後有馬家が入ったり天領になったりしていましたがその時点で清崎城は廃城となったようです。

清崎城御殿跡(清崎神社境内)

しかし、糸魚川は昔から「北陸道」と長野方面へ物資を送る塩の道と言われる「千国街道」の合流点であり、軍事と交通の要塞であったことから、秀康系松平家に抑えをさせたと思われます。

池田屋酒造(清酒謙信、白馬通り-塩の道沿い)

月岡病院(池田屋酒造の隣、白馬通り-塩の道古道沿い)

現在では、遺構は殆ど残っておらず、陣屋の井戸の跡形と、糸魚川白嶺高校の東側一帯にある陣屋土塁程度です。また、清崎城跡は、清崎神社の境内となっています。

 

政庁跡にある井戸跡(糸魚川市横町2丁目3番)

陣屋土塁(糸魚川白嶺高校の東側一帯)

記憶に新しい所で、2016年12月の糸魚川市大規模火災が思い出されますが、糸魚川旧市街の大半が強風に煽られて焼失してしまいました。丁度その3年前に訪問して、加賀前田侯本陣跡であった「加賀の井酒造」や、著名人が多数宿泊した老舗旅館などを写真に撮って感動して帰ってきたところでありましたので、焼失してしまったニュースを見て、本当に残念でしかたがありませんでした。

 

加賀前田侯本陣跡(加賀の井酒造)2016年12月の糸魚川大火で焼失

糸魚川の雁木通り-雁木も焼失した所が多かったらしいです