今日は、水戸城の三の丸にある藩校「弘道館(こうどうかん)」と、日本三大名園(※)の一つである「偕楽園(かいらくえん)」を訪ねましょう。

 (※)水戸城の偕楽園、岡山城の後楽園、金沢城の兼六園

 

藩校「弘道館」は、水戸藩9代藩主である徳川斉昭(なりあき)が、1841年に藩政改革の重要案件の一つとして、人材育成のために三の丸に設けた藩校です。

 

幕末の水戸藩内の内乱状態の中で多くの建物が焼失した上に、太平洋戦争の際にも建物が焼けて、正庁・至善堂・正門が残り現在重要文化財に指定されています。

 

弘道館の正門

弘道館正庁の玄関

 

その中の「至善堂」は、藩主の休憩所や子弟の勉強の間として造られ、斉昭の七男で徳川15代将軍慶喜もここで勉強を行った。また、大政奉還後には一時謹慎生活を行った部屋であります。また「正庁」は、藩校の管理棟です。

 

弘道館の正庁

正庁内部

弘道館の至善堂

「八卦堂」や「孔子廟」は焼失しましたが、各々昭和28年、昭和45年に復元されました。

 

「偕楽園」も、徳川斉昭によって、1842年に弘道館に対し心身保養の場として、対に作られたものであるとともに、領民とともに楽しむ目的で造られたものでもありました。斉昭が好んだ梅の木が3,000本も植えられています。

 

偕楽園東門

その中には、偕楽園の休憩所として造られた「好文亭(こうぶんてい)」がありますが、名前は、梅の異名である「好文木」に由来するものであります。この建物は、太平洋戦争で焼失したので、昭和33年に復元されました。

 

偕楽園内の好文亭

水戸東照宮は、水戸藩初代藩主・徳川頼房が、1621年 徳川家康を祀る神社として創建しましたが、これも太平洋戦争で焼失、昭和37年に社殿が再建されました。境内には、頼房が奉納した銅灯籠、徳川光圀が造らせた常葉山時鐘などがあります。

 

水戸東照宮

 


お城巡りランキング
街並み巡りランキング
旅の知識・楽しみ方ランキング