名古屋城からのリレーは、どこのお城へバトンタッチするか?
天下普請シリーズを進めながら、色々と考えました。
しばらく続けることができる企画は何がいいか・・・・
ということで、お城連関図は、名古屋城といえば徳川御三家筆頭のお城、
御三家のお城と言えば、和歌山城、水戸城ですね。
和歌山城外観復元天守と小天守
水戸城内に移築現存の薬医門
ところで「御三家」とは何ぞや?
徳川家康は幕府創設時に、将軍家を補佐する立場の家として、また本家が
断絶した際に将軍を出す家という重要な位置づけで、創設された家です。
家康の9男「義直」、10男「頼宣」、11男「頼房」が、各々尾張藩62万石で
名古屋城を居城に、紀伊藩55万石で和歌山城を居城に、水戸藩35万石で
水戸城を居城にして、特別な家格を与えて藩としました。
その際に、お守り役として、家康の腹心である家老がそれぞれに付けられ
(付家老)ました。付家老は、各藩の中では1万石以上の知行地とお城も
与えられました。
ということで、御三家のお城の次には、付家老のお城を紹介していきます。
どんなお城があるんでしょうか?
尾張徳川家の付家老「成瀬家」の犬山城、同「竹腰家」の今尾陣屋
紀州徳川家の付家老「水野家」の新宮城、同「安藤家」の田辺城
水戸徳川家の付家老「中山家」の松岡城
※但し田辺城へは、私はまだ訪問していませんので紹介ができません
ことをお断りいたします。
幕末存在藩のお城276城の内の未訪問城3%に入っています。
和歌山県なのですぐに訪問できるわ、と、たかをくくっていたのですが、
それが未訪問になってしまってます。
犬山城国宝天守と付櫓
今尾陣屋跡碑(現 今尾小学校内)
新宮城の石垣
松岡城 城跡(現松岡小学校)
更には、徳川幕府中興の祖と言われた徳川吉宗、彼は本家が七代将軍家継
で断絶した為紀州藩藩主から八代将軍になりましたが、その子供たちと孫を
御三家に模して「御三卿」というものを設置しました。
「御三卿」とは、吉宗の後継である九代将軍家重の弟宗武、宗尹にそれぞれ
「田安家」「一橋家」を創設しました。また、家重の次男の重好に「清水家」を
創設させました。
この三家は、将軍の後継がいなくなった時のもしもに備えた家として創設され
ただけで、知行地はなく江戸城内の北の丸内に御殿が設けられました。
現在江戸城の城内に、田安門、清水門の櫓門が残っていますし、一橋門
の櫓門石垣の一部が見られます。
お城はないですが、江戸城の中に、その名残りが見られます。
その後のお城リレーにつきましては、この御三家-付家老-御三卿の連関
シリーズを進めながら企画を考えていきたいと思います。








