本日も天下普請のお城、加納城(岐阜県岐阜市加納)を紹介します。
岐阜には、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが「バビロンの混雑
に等しい」と言わしめ、安土城とともに「日本史」という書籍で紹介
されたお城である岐阜城が稲葉山の頂上から麓にかけて存在して
いました。
信長時代の岐阜城絵図
(ルイス・フロイスが見た岐阜城はこんな城郭だったのでしょう)
復興天守閣(稲葉山の頂上)
稲葉山麓の岐阜城居館跡
関ケ原の戦い後、その岐阜城を廃城して、天下普請として稲葉山から
少し南側に下った所へ新たに築城されたのが加納城です。そして、
そこへは、徳川家康の義理の息子である奥平氏が入城しました。
その際には、廃城にした岐阜城の天守閣の部材を使用して三重の
天守が築かれたそうです。
因みに、現在の岐阜城は、復興天守であります。この天守閣の前に
は、明治43年に日本全国で初めて観光目的のお城を再建されました
が、残念なことに昭和18年に戦火ではなくて不審火で焼失してしま
いました。
さて、現在の加納城ですが、本丸御殿があった本丸跡は、加納公園
となっていまして、周辺は土塁で囲われています。また、野面積みの
石垣も土塁の裏側(堀側)には残っている部分あります。
加納城本丸入口付近
加納城本丸跡
加納城本丸周辺を囲む土塁
加納城本丸の堀側(現在は埋め立てられている)の石垣
そして、江戸時代には、隅櫓3基、二重櫓1基、御三階が1基とそんなに
多くの櫓は建てられていなかったようですが、その中で現在、1つの隅櫓
の櫓台(土塁)が存在しています。
加納城隅櫓の土塁櫓台
上記に写真を掲載していますが、かなり以前に撮影した写真ですので、
アナログで少し見にくいことや、ひょっとすると風景も変わってしまって
いましたら、お詫び申し上げます。









