天下普請のお城シリーズから、本日は少しそれて、昨日の伊賀忍者の続きを。

 

伊賀忍者の棟梁だった服部半蔵は、2代目からは徳川家康の支配を受けて

伊賀同心の支配者として活躍したそうです。

江戸へ移った伊賀者は、忍者を捨てて江戸城を守衛するガードマン的な役割

と、大奥を差配する御広敷の中で警備や監察を行う業務を担うようになった

ようです。

 

この御広敷を舞台とした小説が、「上田秀人」作の「御広敷用心 大奥記録」

で、徳川吉宗時代を背景にして、将軍吉宗と大奥と主人公の御広敷要人である

「水城聡四郎」が織りなす様々な事件の中で、重要な助演として、伊賀者が

登場してきます。

 

「上田秀人」作の「御広敷用心 大奥記録」 まだまだ続きます

この小説では、表向きは御家人ではありますが、吉宗が和歌山から連れてきた

根来衆の御庭番との忍びの戦いや、甲賀忍者に対する対抗心についても

触れられています。

 

この小説では、伊賀者は同心で、甲賀者の与力というランクの下に置かれて

います。

本能寺の変の際に、伊賀越えで、徳川家康を無事送り届けたにも拘らず、

江戸城では甲賀の下に位置づけられ辛苦をなめていることから、江戸時代の

初めに待遇の改善を謳い「長善寺の乱」を起こしたそうですが、これが一層、

伊賀者の立場を悪くしたようでもあり、いつまでも同心のままだったとか。

 

これらは、史実であったようです。

 

現在、江戸城を大手門から入城すると、下乗門跡手前に「同心番所」が現存、

下乗門跡を入り中の門跡前には、「百人番所」がほぼ南北に横たわっています。

そこでは、甲賀、伊賀、根来、25騎組の4組が交代で警備を行っていたと

案内されています。

 

江戸城 同心番所

江戸城 百人番所(南側から)

中の門跡を入ると坂道になりますが、その手前に「大番所」がこれも現存して

与力と同心で管理していました。

 

江戸城「大番所」

「同心番所」では伊賀者が、与力番所では甲賀と伊賀者が警備をしていたの

でしょうか。伊賀者にとっては、忸怩たる思いだったかもしれませんねー

 

江戸城の他にも、守衛や警備をする為に、大きな門の脇に番所が置かれたり、

櫓門の扉の脇に番所が設けられたりすることがありました。

 

二条城の東大手門や弘前城の東内門の内側に、久保田城にも、大きな番所が

現存しています。

 

二条城 東大手門脇 切妻屋根の番所

御物頭御番所(現存18世紀後半建築、切妻造で杮葺)

与力番所の表側(昭和54~57年に移築復元)

 


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