
さて、昨日の続きです。
通常レベルのままでもギリギリの勝利だったSniperkiller。
悔しすぎる結果に終わってしまいました。
本当にあと一撃、あと一撃が入れば勝てたはずなのですが、その一撃が遠かった。
ですが糸口は掴みました。
次は勝ちます。
先鋒のグリフォンも大体理解しました。
もっと余力を残して先に進めるようになるでしょう。
ですがこの悔しいと言う感情は大事ですね。
非常に不愉快で腹立たしいものですが、これが無いと先には進めません。
悔しいから次の一手を考えますし、それが一歩先に進む力になります。
また反面、この「悔しい」と言うものは不思議なものでもありますね。
例えば同じステージを違うアクトレスで挑んで負けても、ここまで激しい情動は無いでしょう。
「属性が悪かった」「性能的にすばしっこい敵は追いきれない」等、何かしらの理由を付けて、負けた事を正当化してしまう事すらあるでしょう。
ですが明日翔さんの時はそうはならず、単に悔しい、その一言しか出てきません。
どこでその違いが生じるのでしょうか。
アリスギアと言うゲームを主体に考えた時に言えるのは、やはりアクトレスとの相性のようなものが関わってくるのではないかと、私は考えています。
プレイヤーの力を余すところ無く発揮させてくれると信じられるアクトレスだからこそ、絶対に勝てると信じて挑むからこそ、負けたら悔しいのではないかと。
そう言う面から見ると、近代型の使い勝手の良いアクトレスは確かにお手軽に強いですし、それなりに勝ててしまうのですが、もし負けた時に悔しいと感じないのであれば、伸び代に関しては余地が少ないのではないかと、ここ数日考えるところでもあります。
そうした観点からアクトレスを見詰め直してみると、「推し」を超えた本当の「パートナー」が見付かるかもしれませんね。
最近やたらとせりにゃんトレーニングを繰り返しているのも、実はこれに類する話でして。
切っ掛けは本当に些細な事で、今ならひょっとしたら使いこなせるのではないか、と言う根拠の無い予感だけで触れたのが数日前。
まだ1週間も経っていません。
なので、封鎖宙域で全敗しても普段なら使い始めて2~3日と経験が浅すぎるので「それも当然」と軽く流してしまうところが、何故かやたらと悔しくて。
しかも挑んだのが曜日マルチのVHだったり、封鎖宙域だったりと、かなり無謀な挑戦をしていますが、何となくせりにゃんなら…と言う気持ちが湧いてきまして。
もしかしたら第二の明日翔さん足り得るのか。
新しい可能性に期待が膨らんでいます。
これが本物なら…楽しみですね。
それではまた。