わたしは逃げる様にブリスに移り宿を取る。
流石にあのクルーシブルで一夜を過ごす気にはなれなかった。

…そこでふと気付く。
わたし、何かあっさりと人を殺しちゃった?
よくよく思うと恐ろしいことをさらっとやってのけてしまった。
今までも旅の途中で敵対した野盗や山賊を射殺した事なんて数え切れない程ある。
数え切れない程あるんだけど…こんな風に敵意の無い人を、無抵抗な人を一方的に殺めたのは…初めてだ。

それに気付くと急に手が震えだした。
何だか、怖い。
何であんなことが出来たのか自分でも分からない。
その夜は頭まですっぽりと布団を被ってベッドに潜ったけど、結局一睡も出来なかった。
翌朝には雨も上がり、昨日の事なんて悪い夢だったんじゃないかと思えるけど、わたしの手にはハイラスの遺品が確かにある。

重たい気持ちを引き摺りながらわたしはゼディリアンに向けて歩き出す。
ディメンシャ領の薄暗い雰囲気がわたしの陰鬱な気分に拍車をかける。
足取りも重い。
何だか疲れた。
わたしはゼディリアンの手前にある農村に立ち寄った。
少し休みたかった。
この農村では水耕栽培が主らしく、辺り一面田んぼだらけだ。
でも栽培されている植物はやはりシヴァリングアイルズ独特のものらしく、見たことも無いものだった。
とは言えわざわざ栽培してるんだから食べられるんだろう。
丁度お昼時でもあるし、ちょっと分けてもらって食事にしようかな。と思い、農夫に話しかけたんだけど…。

「俺達を助けてくれるのか?いやだが信用できんな。奴らの仲間じゃないとも限らん。おっと、喋りすぎたか…キシャーシと話せ」
農夫のカジートがわたしを見るや値踏みするような目をする。
わたしはちょっと野菜?らしきものを売ってほしかっただけなんだけど。
まぁ良いや。じゃぁそのキシャーシって人から譲ってもらおう。

「ラナール=ジョの使いね?彼は先代のシヴァリングアイルズ王だったのよ。私はその妃」
…駄目だ。こっちのカジート女性もまったく話を聞いてくれない。
二人して勝手に話が進んでしまう。
しかも二人とも妄想癖でもあるんだろうか?
いや間違いなくあるんだろうな。ここは狂気の王国。真人間なんて居ないと思った方が良い。
そう言う意味ではあのハイラスは正気を保ってしまっていたのが不幸の始まりだったのかもしれない。
常人にはついていけない世界なのだ。ここは。

ただこの二人は共通してこの農場の管理人、シンダンウェを敵視しているようだった。
やれ自分達を奴隷にしているとか、自分達の心の内を覗き見る力があるとか言いたい放題だ。
取り敢えず分かったのは、農作物の収穫が遅れると酷い目にあわされるらしいと言うことだけだ。
そしてしきりにわたしに収穫を手伝うように迫ってくる。

はぁ…何でこうなるかな。休憩したくて立ち寄ったはずなのに農作業を手伝わされるなんて。
「助かったわ。私が復権した暁には雲間に浮かぶ宮殿を差し上げるわ…あら?雲で出来た宮殿だったかしら?」
キシャーシはそう言うとお礼にとスプーンを寄越した。
何でスプーン?
そう言えばこの前はヘンなフォークも有ったわね…まぁ深く考えるのはやめときましょ。どうせ考えるだけ無駄なんだろうから。
しかしどうしたものか。
スプーンはあっても肝心の食べる物がない。
いや、携帯用の非常食とかは持ってるんだけどね。それはこう言うところで食べる物じゃないし。

スプーンを見つめているとラナール=ジョが血相を変える。
「お前!そのスプーンをどうして!?キシャーシから盗んだのか!?」
「違うわよ。収穫の手伝いをしたらくれたのよ」
「そうなのか?ならキシャーシに信用はされてるってことか」
そう言うとスプーンをひったくるように奪い取る。
「だがこいつは渡せんね。念には念を入れないとな。シンダンウェはいつもキシャーシを苛めるんだ。あの暴力女にはこいつは渡せねぇ」
「別にそのシンダンウェ?に渡したりしないわよ。それにしてもそんなに酷い人なの?」
「あぁ、邪悪な女だ。あいつを止めないと大変なことになる。だがあの女は俺達の事を何もかも知ってるんだ。全てをノートに書き留めてる!」
そこまで言うとラナール=ジョは何かに気付いたらしい。

「そうか、シンダンウェはまだ君の事を知らないはずだ…君ならできる!あの女をやっつけてくれ!」
何だか勝手に盛り上がり始めるラナール=ジョ。
…お腹すいたなぁ。
お昼ご飯の事を考えるわたしの事など眼中にないと言った風で話が続く。
「まずはあの女を不幸のどん底に叩き落とすんだ!…そうだな、あの女は病的な程に几帳面だからな。家に忍び込んで中を滅茶苦茶に散らかすんだ」
何だかいきなりスケールの小さい話になって来たわね。
それで良いのか?自称先代のシヴァリングアイルズ王。
「あとはノートだ。俺達の心の内を書き留めたノートを奪うんだ!俺の心は俺の物だ!」
まぁこれについては割とまともな言い分ね。

このくらいならちょっと気晴らしに良いかもしれない。
別に誰が怪我する訳でも無し。何かあっても誤れば許してもらえる悪戯みたいなものだ…。
…そう思っていた時期がわたしにもありました。

シンダンウェの家を教えてもらい、早速悪戯しに行く。
ついでに家探ししてノートも見付かれば尚良いわね。
わたしは他人の家に入ると…
「ひゃっはー!」
どこかで聞いたような奇声を上げて整然と並べられていた家具や食器をぐちゃぐちゃにする。
…この「ひゃっはー!」ってやってみると案外楽しいわね。
何と言うか物凄い解放感があってちょっと癖になりそう。

ちなみにそれらしいノートは見当たらなかったので、多分本人が持っているんだろう。
わたしは一旦家を出ると、シンダンウェが帰ってくるのを待つ。
果たしてどんな反応を見せてくれるのか…。

「な…」
絶句してがっくりと膝を着く。
俗にいう「失意体前屈」…所謂 orz と言う状態になってくれた。
「今どんな気持ち?ねぇ今どんな気持ち?」
わたしはとんとん、とリズミカルに床を踏み鳴らしながらシンダンウェに近付く。
「貴女なの!?何てことしてくれたのよ!」
シンダンウェは激昂してわたしを突き飛ばすと部屋の惨状におろおろする。
どこから片付ければ良いのか途方に暮れているようだった。

「ねぇ、ところでノート持ってるんでしょ?農夫達のあれこれを書き留めたノート、見せてくれない」
「何でそんなこと知ってるのよ!持ってたって見せるわけないでしょ!ふざけるのもいい加減にして!」
シンダンウェは怒鳴り散らすとまた部屋の惨状に呆然とする。
わたしに背を向けたまま。

気が付くと何故かシンダンウェは倒れていた…と言うか死んでいた。
死因は後頭部に刺さった矢。首の辺りから刺さり脳天に抜けるように刺さっている。
農場経営者の死 
そしてわたしの手には弓。
何故かわたしは弓と…ノートを手にしていた。

「あれ?」
このノートは…中をぱらぱらと見る。
書かれているのは詩?ともただの独り言ともつかない支離滅裂な文章の羅列。
でもどうしてシンダンウェは死んでるの?何でわたし、何時の間にか弓を持ってるの?

考えたくは無いけど…多分最悪のケースだ。
どうしちゃったんだろう、わたし。
何でこんなにも…容易く人を殺めてしまうんだろう?
…ひょっとしてこれがシヴァリングアイルズ、狂気の王国なの?わたしも狂気に犯され始めてるってこと?

わたしはノートをラナール=ジョに手渡し、シンダンウェが世を去ったことを伝える。
「素晴らしい!」
わたしの行為に満足したらしく、お礼と称して魔法の指輪と一冊の本を押し付けると「早く行くんだ」と追い払う。

「ふむ、あの女の自筆で書かれてるな…やっぱりか!俺達を皆殺しにするつもりだったか!」
わたしの背後からラナール=ジョの声が聞こえる。
恐らくノートを読んでるんだろうけど…どうやったらあの内容でそう読み取れるのかは理解不能。
そしてわたしも自分の事が理解不能。
こんな農村に寄り道なんてするんじゃなかった…。
ただただ後悔だけが心に降り積もる。