より多く愛されたいなら
より多くの人に愛を与えればよい
何かを欲している間は決して向こうからやってきてはくれない
人に与えるからその分自分に返ってくる
ですから人に親切にすれば自然と人に親切にされる出来事が起きます。
人に愛されない、人に親切にされないと嘆くのなら
日頃の自分の心の動きや普段の行動を観察し内観し見直す事をお勧めいたします。
そして大事なのはその思いや行動に対して見返りを決して求めないこと。
見返りを求めた瞬間にそれは真の愛ではなくなってしまいます。
真の愛を人に配れば結果必ず人から同じ分の愛が返ってきます。
それはとても分かりやすい型で返ってきますので
人の愛を感じる事が出来ない時は自分自身を振り返り真実の愛に
生きているかの目印になると思います。
この世は見事な因果律で構成されています。
自分が行った事がただ返ってくるというシンプルな設定です。
自分の今の現状は何を隠そう自分自身が蒔いた種が単純に返って来ただけ。
そう思えば今、自分自身に降りかかっている事を冷静に考えられるのでは
ないでしょうか?
良い事も悪い事もすべては自分自身から
自分の身から出たサビという訳ですね
ね、シンプルでしょ
愛は地球を救います。
このタイトルってなんか某番組を思い出してしまいますね(笑)
でも実際に愛は地球を救います。
裏を返せば、
〝愛しか地球を救えない〟
と言ってもいいかもしれません。
それほど愛の力はすごいのです。
ついでだからこのタイトル名で思い浮かぶ某番組の事も書きましょうか(笑)
ネット上はでは結構、風評がきつい番組ですね。
私はそんなの全然気にしてませんけどね(笑)
何書かれていても私はあの番組好きなんです。
なんでかって?
あの番組見ると心がホッコリするんですよね
はっきり言って批判する方々は実際に募金とかしないで
そういう風評につきあってらっしゃるな~って思いますね。
ま~風評や批判ほど無駄なエネルギーはないな~って思ってしまいます。
そんな事にエネルギー費やすのもったいなさ過ぎ(笑)
エネルギーはもっと有効的に使わないとね。
そしてどうしても批判したい人はいくらでも良いから募金してから言って下さいね。
募金もしないし、顔も出さないわ、匿名だわって(笑)
それじゃ~批判なんて出来ないでしょ
批判したいなら堂々と顔と名前だして募金してやることやってくださいませ。
話を番組に戻しますが、私はどのみち良いと思っています
仮に風評通りに募金が行き着くところに行き着いていなかったとしてもそれはそれでいいんじゃない?
募金は愛のエネルギーの塊。
その愛の塊を全く他の事に利用したら、その反動はその方々が痛いほど味わうだけだから逆にかわいそうだよね。
人は人を裁けない。
天はすべて見てるからそういう事は天に任せましょう。
で、話は番組に戻ります。
結果、お金の流れがどうであれあの番組は良い番組だと言う事には
変わりはありません。
さきほども言いましたが、あの番組を見た後、無性に心がホッコリ来るんです。
番組が終わった後もしばらくその余韻は消えません。
このホッコリの正体は・・・それは愛です。
人がこのホッコリ状態でいる時はとても幸せな気持ちです。
ホッコリ状態の人は犯罪を犯しません。
ホッコリ状態の人は人を攻撃したりもしません。
なぜなら愛に包まれているから。
言い変えるなら、
〝ホッコリは地球を救う〟
です(笑)
人々がこのホッコリした状態がずっと続けば世界はずっと平和であると思っています(^^)
ですがこのホッコリ状態ってなかなか持続するのは至難の業です。
殺伐とした世の中ですから、ニュースからはほぼ悲しいニュースしか流しません。
私は昔から思うのですが、
うれしい出来事をニュースで流せばもっと良い世の中になると思うのです。
・○○さんが今日、困っているおばあさんを助けました
・○○川では本日100人近くのボランティアが集まりゴミを拾いました
・長年仲違いしていた○○さんと○○さんが今日、仲直りしました
・小学生の○○君がお財布を拾い交番に届けました
・末期癌と宣告された○○さんが意識と食事を変えた結果、手術しないで克服しました
とかね。
でも人って野次馬根性ってあるでしょ?(笑)
人の苦労話は楽しくて、人の幸せ話はノロケに聞こえてしまうんだろうね。
〝人の不幸は密の味〟
って悲しすぎない?
〝人の幸福は愛の味〟
になったら素敵だよね。
「人の幸せは自分の幸せ」
そんな風に人々が意識変革を起こしたなら
地球はその時、愛の星になると思う。
そう、私はいつまでも・・・

愛の星、地球の誕生を願う


※前回、前々回と続き問題提起シリーズの第三弾です。内容が内容なので今回で一旦このシリーズは終了します。
この記事を読み、とても悲しい気持ちになりました。
http://buzznews.asia/?p=16031
この加害者の弟さんは残念ながら自死してしまいました。
生前、彼はこのような言葉を残していました。
「加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです」
辛いです。
そんな事は決してありません。
ハッキリ言って、
この世に幸せになっちゃいけない人など誰一人存在しません。
皆、幸せになる為にこの世に生を受けています。
仮に幸せになる資格というのが存在するなら、それは皆平等です。
当の本人の問題であるなら〝努力不足〟や〝頑固で人の意見を聞かない〟
などによって人生がうまく好転せず、幸せを感じていない方はいると思います。
しかし、この場合は当の本人は何もしていません。
加害者の親ならまだ育て方の問題だったり、子に対する愛情不足などの問題もあると思います。
でも今回の場合のように実の弟さんは血が繋がってるだけで何一つ責任はないと思います。
そこまで彼を追い詰めてしまった現状に私はとても遺憾に思わずにいられません。
加害者の家族というだけで職場を解雇されるってどうなんでしょう?
加害者の家族というだけでマスコミが執拗に追いかけるってどうなんでしょう?
なんていうか表現的には正しくないかもしれないけど、これも一種のイジメと感じる。
まだまだ加害者の家族に対する保証ってないんだな~って改めて思いました。
苦しみの度合い・・・
これは当事者にならないと正直わからない。
だが、安易に「被害者だから辛いけど加害者はそれに比べたら…」などとは
言えないと思っています。
苦しみの種類が違うだけで、きっと苦しみの重さは同じくらいきついものだと察する。
私は被害者側だけでなく、加害者側にも何かしら保護があっても良いと思っている。
別に私は加害者を擁護してる訳ではない。
ただ加害者側の家族は直接的にその者が手を加えた訳ではなく、
しかもとても申し訳なく思っている事実。
それだけでも理解してあげられたらと思う。
前の記事でも書きましたが、私は被害者側だけでなく、
加害者側も被害者であると思っています。
この度は心よりお悔やみ申し上げます
追伸:私はこの記事を読んで宮崎勤の父親の事を思い出しました。宮崎勤の父親も申し訳ない気持ちで自死したそうです。ですがこんな事を書くのは少し酷ですが「死んで責任を取る」というのは違うと思っています。仮に加害者が死んで被害者が生き返るというならその言葉はまだ理解できます。しかし実際はそうではありません。死んでも何も変わりません。また死人が出た事実だけが増え、悲しむ人がまた増える、ただそれだけです。
冷たい視線にさらされた上で生きる事は正直辛いと思うのです。ですが自分と真っ正面から向き合いその辛い中で生きるからこそ償いと言えると思います。加害者の親御さんの場合は直接的には事件と関係ないですが、子育ての段階で何か問題があった可能性があります。仕事が忙しく子供に向き合えなかったなど様々な理由があると思います。ですので死んでお詫びではなく、その事を償って生きて欲しいと思います。ただ今回のように直接的には関係のない兄弟の場合は本当に悔やまれます。とにかく加害者の家族には逆に世間が愛の手を差し伸べてあげるべきなのではないかと思います。
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